【インタビュー】日野浩志郎(birdFriend, goat, bonanzas)

日野浩志郎(birdFriend, goat, bonanzas)
Interview
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日野浩志郎(birdFriend, goat, bonanzas)
日野浩志郎(birdFriend, goat, bonanzas)

あなたがとにかく“尖った音楽”を求めているのであれば、日野浩志郎という人物は必ず知っておくべきだ。goat、bonanzasという2つのバンドのリーダーでありYPY名義によるソロ活動、そしてカセットレーベルbirdFriendの主宰者といくつもの顔を自在に操り、関西いや日本の音楽シーンにおいてカンフル剤のような存在となっている。つい先日も8月31日に心斎橋一帯を舞台にした大規模なイベント〈BEST FRIENDS〉の開催を発表したばかりだ。しかし活動が多岐に渡るがゆえにまだまだ謎多き人物でもある。そもそも彼の生み出す音階に縛られることない楽曲たち自体が謎多きものでもある。今回のインタビューはそんな彼の謎を解き明かす大きな手掛かりになったのではないかと思う。(取材・文 / 堀田 慎平)

高校の近くのコンビニで〈ウッドストック〉のDVDを買って、そこからジミ・ヘンドリックスとかレッド・ツェッペリンを聴くようになりました。

──日野さんに対するインタビューは現時点で珍しいと思います。最初に日野さんが音楽を始められたきっかけから教えてください。

きっかけは、中学の時に初めてギターを買ったんです。友達が一緒にバンドやろうぜって言ってきて。GLAYとかいいじゃんみたいな(笑)。

──きっかけはGLAYなんですね(笑)。

で、僕実家が島根なんですけど、島根は人数がいなくてバンドもなかなか組めなくて。それで一緒にやろうと言っていた友達も全然やらなくなって、中学は僕一人でずっとGLAY練習して終わっただけみたいな感じでした(笑)。それから少しずつ洋楽を聴き始めたんですが、島根はほんとに情報が少なくて、高校の近くのコンビニで〈ウッドストック〉のDVDを買って、そこからジミ・ヘンドリックスとかレッド・ツェッペリンを聴くようになりました。高校の頃はそこからブルースやジャズを掘り下げつつ聴く幅が広がって、そこからスタートしてるかなって感じですね。

──ではgoat結成の経緯についてお聞かせください。

大学で大阪に来たんですが、最初は大学のサークルで友達と一緒にバンドのコピーをしてて、その時はただバンドで合わせるのがすごい楽しかったっていう感じでした。それから先輩のバンドを見にライブハウスに行き始めて外の存在を意識し、それから自分もなんか作りたいなと思い、サークル内でバンドを組むことにしました。それがgoatの前身のTalking Dead Goats”45っていうバンドです。その後、大学3回生まで行ってたけど、やっぱり音楽をやりたいなと思って大学を辞め、難波ベアーズのすぐ近くの大国町に引っ越してきました。それまで大学の子らと一緒にやっていたバンドも改めてちゃんと組み直そうと思って、高校時代の同級生だったベースの田上敦巳を広島から呼んで、元々対バン相手にすげえドラムがいるなと目を付けていた西河徹志の二人を誘ってバンドがちゃんと形になったっていう感じです。

出来るだけ機材に頼らず、それでいてミニマルで強度の強いものを、というのを常に考えていました。

──Talking Dead Goats”45のポストロックの要素が強い音楽性はどのようにして決まっていったのでしょうか?

バンドをちゃんと始めたわけですけど、僕は飽き症というかいろんなものに興味がありすぎて、それでいろんなこと試そうとしてたんですよね。ミニマルなこともやりたいしインプロもやりたいし、オシリペンペンズとかDODDODOとかも凄く好きで。そういう人間力溢れた大阪の人達を観ていたら、内に秘める何か湧きあがるものがある訳だし(笑)、どうしたらいいのか分かんないみたいになって。それでインプロとかも取り入れてやってみようとしたけど、全然上手くいかなくて悶々として。やりたいことをバンドの中で全部やろうとしてたんですが、それぞれ別でやったら消化できるなって思って、一人でインプロ始めたりしてたんですが、それでもバンドに納得できなかった。このバンドは音楽的に強度が低いなとずっと思いながらやっていて、あと機材に頼ってる感じが凄く嫌だった。ループに頼っていると、アンプの質だったりライブハウスの状態によって全然クオリティが変わってくるし、それが悔しかったんですよね。出来るだけ機材に頼らず、それでいてミニマルで強度の強いものを、というのを常に考えていました。だからこのバンドの音楽性はずっと決まってなくてぼんやりしたままでした。

──そこから実際にミニマルな要素が強いgoatというバンドに変化していくわけですがそこに至る経緯ときっかけは何だったのでしょうか?

bonanzas: BONANZAS
bonanzas
BONANZAS
MEATBOX Records, 2013年
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名古屋のSTIFF SLACKというレーベルが(Talking Dead Goats”45の)音源をリリースしてくれて、少しずつ認識されてきたけどそれでも「違う」ってずっと思っていて。そういう悩みを持ちつつbonanzasができるわけです。bonanzasのドラム3点、バスドラ・スネア・ハイハットだけでベースがバスドラの音に完全に同期してガンって音を鳴らす、その上にノイズを乗せるっていうアイディアは元々Talking Dead Goats”45の中で生まれたものでした。だけど、それをこのバンドで入れてしまうのはちょっと違うのかなと思ったので、違うバンドで実験的に組んでやってみようと思っていて。そんな時に(ROVOの)原田仁さんとのデュオで出演していた吉田ヤスシさんとイベントで共演したんです。それで「ヤスシさんインプロ一緒にやらせてください」みたいなことを言ったら、ほんとに翌日電話かかってきて「来週どうっすか」ってなって。それからしばらくヤスシさんと頻繁にインプロしてたんですが、その頃からヤスシさんと一緒にバンドやりたいと考えはじめ、bonanzasの構想とヤスシさんの相性良さそうだなと思って、曲を作って、しれっと1回やってみたら案の定バッチリで。ライブ後からヤスシさん即加入でbonanzasが始まりました。でミニマリズム、ループを使わない単純な構成という形がbonanzasによって一つ昇華できた。

──なるほど。

一方でTalking Dead Goats”45の方はやっぱり納得いかない状態が続いてるわけですよ。それで1回Talking Dead Goats”45を休止する事にして、1年間休止している間に曲を全部捨て、新しく曲を作り直したのがgoatとbonanzasの中間みたいな曲でした。それでも納得いかなくて。メンバーとも色々話して、最終的に僕が全部のパートを1から10まで完全に作ることにし、自分の発想とまた違うプラスアルファが欲しいと思って、kuruucrewの安藤暁彦に加入してもらう事になりました。それで2012年の冬くらいにパソコンで曲を作りはじめたんですが、goatは行き過ぎたミニマルにしたくて、本当に自分の思うがままに作る事にしました。こう言うと可笑しいかもしれませんが、今思うと今まで自分の好きなように作ってたと思ってたけど、周りの反応とか気にして作っていたんだと思います。もしかしたら今も少しあるのかもしれませんが。goatを作り始めたとき、もうこれをやることによって見放されて、誰からも反応されないと本当に思っていました。それから安藤暁彦以外の3人でスタジオに入り、数曲できたので2013年の元旦に「名前をgoatにします」っていうのをツイッターで発表しました。正月休み中に安藤を呼んで猛特訓して、自分たちのiPhoneで撮影してYouTubeにアップしたら嬉しいことに少し反応あって、結果HEADZからリリースさせてもらう事になりバタバタと曲を作ってレコーディング…、といった感じで進んでいきました。

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