

ついに、ついにである。京都に住んでいれば一回くらいはライヴを見たことがある人も多いmy letterが全国流通盤を& recordsからリリースした。昔から彼らを知る人にとっては、鋭利な感覚よりも円みを感じる仕上がりが特徴なのだが、その中には色鮮やかな景色を詰め込み、音色も確実に豊かになった。こうした変化を紐解くため、ki-ftでは2014年11月中旬に京都二条カフェパランにてインタビューを敢行。すでにCINRAとOTOTOYにインタビューが掲載されているため、“関西”に焦点を絞りつつ、学生時代のこと、バンドへ影響を与えた物事、ライヴハウスのことなどを中心に収録。my letter入門としてはかなりディープな内容であるが、作品の本質にぐっと入り込むきっかけになれば、と思う。また、『my letter』は何故「ライ麦パン」なのか? という解説をインタビュー後記に収録しているので、合わせて読んで頂きたい。(テキスト・構成・写真:山田 慎)
ロックコミューンよりもキークスを一瞬見に行って、入りかけて「あれっ?」ってなって。ちょっと尖ってたので(笑)。軽音学部が一番普通で、間口が広くって。
──今日はよろしくお願いします。アルバムでのパート、そして出身地、関西在住何年目か教えてください。
キヌガサ(Vo, G) : アルバムではギターとボーカルをしています。生まれも育ちも京都の宇治市です。大学も京都です。
キャシー(Dr) : キャシーです。パートはドラムでコーラスもします。小学校3年生までは福井県にいましたが、それからは大阪茨木市に住んでいます。
まつもと(G) : ギターの松本です。出身地は石川県白山市で、大学から京都にいます。今は左京区に住んでいます。一乗寺とかでよくラーメンを食べています。京都は5年目ですね。
おざわさよこ(B) : ベースを弾いてますが、鍵盤や唄、コーラスもしています。岐阜で生まれたんですけど、新潟や石川など暗くて寒いところにいたときもあって(笑)、実家は岐阜県岐阜市です。京都に来たのは大学1年のときなので、丸10年います。岐阜は6年なので、京都歴の方が長くなりました。今は〜〜の新福菜館の近くに住んでいます。
キヌガサ : 特定されるよ〜(笑)。
──メンバーは全員が同じ大学出身ですか?
キヌガサ : まつもとだけ違います。
おざわさよこ : 最初のメンバー4人は同じ大学で同じサークルでした。R命館大学の軽音学部……(笑)。ロックコミューンじゃないサークルです。
──今日は関西を中心とした話をしようかなと思って。バンドは2007年結成ですね。立命館はロックコミューンがあるじゃないですか。くるりやキセルといった、有名なバンドが出ているのもあって、ちょっと伝説的なサークルというか。入らなかったのはどうしてでしょうか?
キヌガサ : 今はちゃうんですけど、そのときはコピーがダメやったんですよ。いろいろバンドやりたいなと思ったので。
おざわさよこ : 「やるならオリジナルで、マジでやるやつしか入ってくるな」みないな空気があったんですよ。
キヌガサ : そうそう。スタンスとしてどんどん曲を作ってライヴをしましょうという感じだったので。楽器も初心者やったし、付いていけないかなあと。見学も行ってないんですけど(笑)。軽音も面白そうだったので、そっちでいいかなあって。
キャシー : ロックコミューンは大学に入ってから知ったので。
おざわさよこ : あ、そうなん? へぇ〜。
キャシー : だから選択肢に最初からあったわけではなくて。ロックコミューンよりもキークスを一瞬見に行って、入りかけて「あれっ?」ってなって。ちょっと尖ってたので(笑)。軽音学部が一番普通で、間口が広くって。
キヌガサ : へへへ。その通り。
キャシー : ドラムも初めてだったので、軽音に定着しました。
おざわさよこ : 私だけ寄り道していて……。学科が芸術学みたいなところやったから、バンドサークルに入りたい子が多くって、キークスとかロックコミューンとかいろいろ見に行ったんですよ。最初はキークスに入って、アクが強すぎて……。どうしようかなってなって、2年目に軽音学部に入りなおして。でもキークスやロックコミューンの子とバンドしたこともあるし。どこに居てもよかったかなって思います。
キヌガサ : キークスとかって何年生か分からない人もいるけど全員で30人くらいかな。軽音は登録している人が200人くらいだったこともあるけど、見て分かるのは50人くらい。ロックコミューンは30人弱くらいでした。
おざわさよこ : それぞれ色があって面白い。どこもいいサークルでした。
──軽音楽部には有名な先輩がいるのでしょうか?
キヌガサ : シンガー・ソングライターの竹上久美子と、24ページですね。かなり前だと#18(ジュウハチバン)が出身ですね。
おざわさよこ : あとVAVA(Dr)さんがキバオブアキバやってるけど、あれはメタルサークルのNEW MUSIC研究会やな(笑)。軽音楽部は卒業してから音楽をやっている人がちらほらしかいない。
──音楽活動をしている後輩はいますか?
キヌガサ : 花泥棒、Amia Calva、asayake no ato、猫殺す、プールサイドは海の中、 kaiwareとか、結構いるんですよ。先輩よりも多いですね。僕らが拾えないくらいいるんじゃないかな。

「生活の中で音楽をやる」ということを考えている人たちがいて、しかも音楽がかっこいいバンドがいることを知ったのが大きかったです。
──僕が知っているバンドもかなり出ているんですね。ところで、立命館大学内では外向きのライヴも開催されていますよね。
おざわさよこ : 学内ではサークルの発表会という形では結構ライヴをしています。その中でThe Lionsの頓宮さんとかがもっと外向けのライヴを始めて。それを見に行ったり、手伝ったりしました。
──今回はそれについて聞きたかったんですよ。彼は「夜音車」という名でfanzine作ったり、イベントをしていましたよね。僕は同い年で、小中高と一緒で、コピーバンドとかも組んでいたんですけど(笑)。
おざわさよこ : そうだったんですか〜!
キヌガサ : この前に頓宮さんに会ったら、髪とヒゲがもっさ〜! ぼっさ〜! ってなっていて。仙人になりかけてる。
おざわさよこ : おかしいよね? 昔に戻ってる(笑)。
──my letterってアルバムを聴いていると、U.S.インディー・ロックであったり、ポップ・ミュージックの要素が色濃いのにも関わらず、ハードコアやパンクだと言われますよね。その辺りは「夜音車」とかの影響を受けたからじゃないかなって。というのも彼は立命館にハードコアのバンドを呼んで企画したりだとか、ツアー・バンドを家に泊めたりして。京都だとあんなに地に足を付けた学内での企画は立命館くらいだったのではないかと思います。
キヌガサ : killie、BALLOONS、heaven in her arms、LITEとか見ましたね。2007年にAmpereとLa Quieteがツアーしたときに、衣笠キャンパス学生会館でやったんですよ。それをおざわさんと手伝ったんですよ。設営、撤収、打ち上げ場所の手配、ヴィーガンご飯を作ったり。そのときにThe Lionsのドラムをやっていた奥山と仲良くなって。
おざわさよこ : The Lionsのメンバーとは、頓宮さん以外は私たちと学年が同じくらいでした。
キヌガサ : 外タレとかだったら交通費をあげたいじゃないですか。京都はハコが大学だったら人も来やすいし、お金もそんなにかからず、ダイレクトにバンドのためになりますよね。カンパだったから、見る方もバンドに還元しやすかったんですよ。それが魅力的だったのと、音楽にもよるんでしょうけども、ライヴハウスじゃなくても演奏できるなって思ったんです。BALLOONSはアンプの向きとかだけで音を調整していたけれど、むちゃくちゃかっこよくて。そう考えると、バンドがちゃんとしていれば、どこでもできるなと思いました。
おざわさよこ : 大学のサークルって、学内でやるんだったら、自分たちのために演奏する感じになっちゃうけど、ああいった企画を見て、外向きにやろうっていうきっかけになった人は、結構いるんじゃないかなって。私はそうだった。
キヌガサ : 今ほどネットは発達してなかったけど、面白いことをすれば人は嗅ぎつけて来るんだなと。かなり人がいましたね。すごく面白かった。
おざわさよこ : そういうこともあって、卒業前に大学を使って、ライヴを企画しました。そのときに岡村君(odd eyes)と倉持君(ex. OUTATBERO)が見に来ていたみたいで。それで仲良くなったり。
──近年ではMOTHERが企画したりと立命館学内ライヴをやっていますよね。そうしたパンクだったり激情ハードコアのバンドは、夜音車周辺からの影響が強かったのですか?
キヌガサ : 僕はそれよりも前に聴き始めていますね。別バンド(zdzis law)もやっていたので。
おざわさよこ : 私はそういうきっかけもあって、BALLOONSなどを聴き始めました。
キヌガサ : 東京のシーンを紹介してくれたのは夜音車だったので、いろんなバンドを知ることにはなりましたね。
おざわさよこ : heaven in her armsのCDも聴いていたもんね(笑)。すごく狭いところで見たら凄すぎて……。Yarmulkeも出ていましたね。
キヌガサ : マーシャル持ち込んでいて、低音がすごかった。
おざわさよこ : 頓宮さんは一つのジャンルに特化していたから、タイトなバンドが多く出ていましたね。そしてDIY精神をコアにして活動している人たちがたくさんいました。そのときと比較すると、学内ライヴをしている後輩はいろんなジャンルのバンドが出ている印象がありますね。
キヌガサ : 学内ライヴを活発にやっているわけでもないからかも。今の方がライヴハウスも増えたし。ツイッターとかもあるし、いろんな人たちの間でコミュニケーションが取りやすくなって、ライヴハウスでやる人たちの方が多くなったんじゃないかな。
おざわさよこ : 頓宮さんのイベントは目的がしっかりしていたし、熱気もあった。
キヌガサ : 「お金をかけずに学内ライヴをする」ということではなかったから、情熱がすごかったんじゃないかな。
──そのときに知り合ったバンドや友達はいますか?
おざわさよこ : 私はBEDをよく見に行っていて。そのときは超怖かったんですけど(笑)、頓宮さんの友達だったから、夜音車の企画にも出演していて。「BED呼べるのすげえ!」って思って。
キヌガサ : dOPPOもだよね。
おざわさよこ : そのおかげで、BEDに近付けたんですよね。スタジオ・スーとかでもライヴをしていて、そういう場所に行くきっかけにもなりました。それが嬉しかった。
キヌガサ : 「生活の中で音楽をやる」ということを考えている人たちがいて、しかも音楽がかっこいいバンドがいることを知ったのが大きかったです。
おざわさよこ : その中にはwith one accordでディストロや企画をしている、いっしゃん(salt of life)にも知り合って。my letterはDEMOから取り扱ってもらってます。
──いま出てきたバンドなどからの影響はありますか?
キヌガサ : 「生活を作りながら音楽をやっていく」ということではBEDやThe Lionsから影響を受けていますね。
おざわさよこ : BEDは京都で活動して、働きながらアルバムを3枚も作って。説得力あるからな。ライヴもかっこいいし。
キヌガサ : 夜音車とかBEDは出会ってから「場」を作っていってたと思うんです。後輩はコミュニティーの作り方が変わったと思うんですね。面白いのは「生き埋めレコーズ」ですね。地域じゃなくて好きな人たちを集める。インターネットで自分が好きなバンドを知って、そしてコンタクトを取ることもできるから、ひかれ合う人たちが集まっています。共通や仲間意識でつながっている感じがして。
──夜音車と生き埋めレコーズって手法としては正反対ですよね。
キヌガサ : そうなんですけど、好きなバンドで集まるのは同じではないかなと思います。
おざわさよこ : 自然体やね。「やらな!」という使命感はなくて。
──my letterはその狭間にいるような気がするんですけど、立ち位置的にはどうでしょう?
キヌガサ : わからないですね〜。
おざわさよこ : どっちでもない(笑)。インタビューで「仲いいとかバンドいますか?」って聞かれると、「いないかも」って思っていて(笑)。
キヌガサ : いろんなバンドが好きなんですけど、「一緒にシーンを作ってきたぞ!」と言えることもしていないし。
おざわさよこ : どこに行っても共演するバンドもいない。
キヌガサ : 一番多く共演しているのは確実にHello Hawkですけどね。東京のバンドやし(笑)。
おざわさよこ : ユニティーしていこうっていうこともなくて。
キヌガサ : だから「どっち?」と言われると困ります(笑)。
──京都でマイペースにやってきているわけですが、このスピード感は保ちながら続けていこうと考えているのでしょうか?
キヌガサ : そうですね。今はリリースがあって、プロモーションなどで無理している部分もありますが、基本的には自分たちの生活をしっかりしないと。だからできるペースで。メンバーに子どもができたり、転職したりという場合はペースを落とそうと思っていますし。
キャシー : 「バンドをやらなければならない」という状態にはしたくなくて。自然とやりたいことを、やりたいペースで続けていきたい。
まつもと : バンドに入って感じたことは、ペースに無理もなく活動しているということです。余裕を持ってやりたいですね。
おざわさよこ : みんなバンドのやる気がないわけではないですよ(笑)。私は詰まっているのも好きで、リリース前のドタバタした感じも好きです。これからも必要に応じて早くなったり、遅くなったりすると思います。
キヌガサ : 前はメンバーの仕事の関係で2ヶ月に3回くらいしかライヴができなかったんですよ。仕事が変わったことで土日が休めるようになって、今は月に1〜2回できるようになりました。BEDもメンバーのペースは変動がすごいんですけど、それでもやっているし。無理なくやろうと思っています。