【インタビュー】Shout it Out『Prologue』

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Shout it Out

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社会の荒波に揉まれ、ふと気づいたら大人になっている。あの頃に抱いていた感情はすごい速さで流れていく時代のどこかに置いてきた。大阪は堺市で結成された平均年齢18歳の4人組ギター・ロック・歌モノバンド、Shout it Out。彼らの初となる1st Mini Album『Prologue』がリリースされた。その音源を聴いて、にじみ出てくるほどに感じる“青々しさ”はそんな忘れていたあのときの自分に面と向かうようで、人目も気にせず無性に叫びたくなる気持ちに駆られる。2010年代を生きる10代の彼らが今、何を思い、感じているのか、その青々しさに迫った。(テキスト・構成:山本 悟士

堺はバンドを育ててもらった街なので、ずっと大切にしていきたい街ですね。

──Shout it Outはどのような経緯で結成されたのか教えてください。

山内彰馬(以下、山内)(Vo, G) : 高校の軽音楽部のメンバーで結成しました。初期メンバーから数回のメンバー・チェンジがあって、最後に途中でドラムが抜けたタイミングで、学年が一つ上の彼(西浦和希)に「先輩、助けてください!」って感じでお願いして加わってもらってから、今の4人に落ち着いています。

──オリジナル曲をつくり始めるまではどんな曲を?

山内 : 堺の先輩のKANA-BOONをコピーしてましたね。

──当時の堺のシーンはどんな感じだったんですか?

山内 : KANA-BOONがまだブレイク前で。

新山大河(以下、新山)(Ba) : 地元のハコで20~30人くらいの前でやってた頃でしたね。

山内 : 僕らがKANA-BOONのコピーをしててもお客さんには伝わらなくて。マイナーのバンドをコピーしてるんかくらいに思われていました。

──KANA-BOONは当時から抜きん出てたのですか?

新山 : 来るぞ来るぞみたいな(笑)。

山内 : 周りのバンドよりダントツで勢いを感じましたね。

──なるほど。今日(3月11日)のライヴの最初でも「堺から来ました」と仰ってましたけど、やっぱり堺という場所は特別な場所なんですか?

山内 : そうですね。僕自身、実は堺には住んだことはないんですけど、Shout it Outとしての拠点は最初から堺で、バンドを育ててもらった街なので、ずっと大切にしていきたい街ですね。

──皆さんの曲をいろいろ聴かせていただいたのですが、KANA-BOONの影響はあまり感じなかったというか。ルーツを模倣するとかじゃなくて、今の自分たちがカッコいいと思うことを音楽にしてるような印象を受けたのですがいかがでしょうか?

新山 : あんまり意識とかはなかったんですが、最初はやっぱどうしても抜け出させなくって。「どれもKANA-BOONぽいね」みたいな。

西浦和希(以下、西浦)(Dr) : どこのライヴハウスに出ても「KANA-BOONぽいね」って最初のうちは言われましたね。

──最初はそうだったのですね。やはり四つ打ちとかをやっていたのでしょうか?

新山 : やってましたね。

山内 : 曲調も似てたんだと思います。

──言われた曲とかは今発表している曲にありますか?

山内 : 今はもうライヴでもやっていないですね。

新山が楽器の経験者を引き連れてきて「お願いやからこのバンドで歌ってくれ」って言われて。

──なるほど。最初はそうだったということなのですが、聴かせていただいて今は良い意味での“青さ”があるなと思ったんですよ。その青さっていつ頃から確立されていったのでしょうか?

新山 : 去年の4月に〈青フェス〉っていうイヴェントを阿倍野ROCKTOWNでやったんですけど、そのときぐらいからですかね。

山内 : バンドが青さを確立できたというよりも、僕の元々の性格がすごいそんな感じなんですよ。

──誰かアーティストから影響を受けたからですか?

山内 : 音楽を始める前からなんで影響とかはないと思います。

──一番曲を作っている山内さん自身は今までどんなアーティストの曲を聴いてこられたのでしょうか?

山内 : 一番影響を受けたのはMr.Childrenですね。

──なるほど。最初はその青臭さはエレファントカシマシからかなと思ったのですが、どうでしょうか?

山内 : エレカシとかウルフルズとかも、中学生の頃からずっと好きですね。

──周りからも青いって言われたりもしてるかもしれないのですが、意識はしていたのでしょうか?

山内 : 意識はしてないんです。けど、普通にしてるだけで、結構大人に反抗してしまう癖があるんですよ(笑)。

──例えばどういうことですか?

山内 : 例えば学校の先生から、「ああしなさい、こうしなさい」って言われるじゃないですか。そうすると、そこ反抗する必要あるかよってとこまで反抗したがるんですよね。

新山 : 反骨精神?

山内 : すごいひねくれたがりで、青々しいんですよね、元々の性格が。

新山 : 学校にもあんまり来なかったり(笑)。

──なぜそんなに反抗したかったんですか?

山内 :言われた通りにするのが無性に嫌だったんですよね。

──正しいことだとわかっていてもですか?

山内 : 何に対しても、まず「うっせーよ」って思っていました(笑)。

──他の皆さんもそんな感じだったんですか?

西浦 : 僕はそこまでではなかったですけどね(笑)。

新山 : 僕は反発したくてじゃなくて、普通に遅刻して怒られるという子でした(笑)。別に怒らせたくてやってるんじゃないのに、怒られるみたいな(笑)。

──なるほど(笑)。結成当初から今の音楽性は変わらないんですか?

新山 : 根っこは変わらへんな?

山内 : 一番元の部分は変わらないですね。

──音楽を始められたのは高校の体験入部からということですが、音楽をやり始める前って何か夢とかってあったんですか?

山内 : 幼稚園の頃から音楽をする人に憧れていました。

──元からそういう気質があったんですね。

山内 : そうですね。

新山 : 僕は星とか天体がすごい好きでずっと天文学者になりたかったです(笑)。

──では、やはりBUMP OF CHICKENの「天体観測」も聴いたりとか?

新山 : 中学生のときも聴いてたりとかして(笑)。実際に望遠鏡もお年玉で買ってよく田舎に観に行ったりとか。おじいちゃんの家が田舎なんで担いで観に行ったりとか。ずっと天文学者になりたかったです。

山内 : そういう学校に行こうとしてたよな?

新山 : 天文部があって望遠鏡のある学校に行こうとしてたんですけど、直前にちょっと偏差値足りひんなって(笑)。

──そういう夢があった中からいつ頃から音楽にシフトし始めたんですか?

新山 : 中学1年生の終わりの頃にベースを始めて、そのときからずっと仲の良い人らがバンドを組んで堺でライヴをしてたので、中2ぐらいからライヴハウスに足を運んでいたんです。それで「俺も高校入ったらバンドやりたいなあ」って。その辺から「絶対バンドやろう」って徐々に音楽にシフト・チェンジしていきました。

──新山さんは今までにギターやドラムが脱退していく中で、なぜそれでもShout it Outでやっていこうと思ったのでしょう?

新山 : ボーカルが他におらんかったんです。

──というと?

新山 : 軽音部に入りたてのときに1学年で100人ぐらいおったんですけど、その中で「山内とやったら、本気でバンドで上を目指せるな」っていうのが4月の時点からあって。

山内 : わからんけどすごい頼みに来たよな。僕、人前に立つのが実は得意じゃなくて。新山が楽器の経験者を引き連れてきて「お願いやからこのバンドで歌ってくれ」って言われて。でも当時の僕は経験者=上手いやったんで、その上手い人の中で歌うのは無理やってずっと断ってたんですけど、ほんまに学校の毎休み時間クラスに来て頼みに来られて。

──そこまで惹かれるものがあったと。

新山 : ありましたね。

──具体的にどういうものですか?

新山 : 僕は個人的にバンドの一番の武器やと思ってるんですけど、やっぱ声やと思うんですよ。最初4月に歌を聴いて「ああ、これやな」って思ってずっとお願いしてました。

Author Profile

山本 悟士音楽ライター
1993年生まれ、滋賀県在住。薬学生。大学では細胞生物学について研究。演劇団体に所属し、表現の場を拡大。取材・執筆依頼はihsotas0505@gmail.comまで。
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