【クロスレビュー】Nicholas Krgovich + Deradoorian Japan Tour 2015

ニコラス・ケルゴヴィッチとデラドゥーリアン
Live Review
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Nicholas Krgovich + Deradoorian Japan Tour 2015 at KDハポン
2015年4月3日 at 名古屋鶴舞K・Dハポン
7e.p. presents〈Nicholas Krgovich (No Kids, Gigi, P:ano) + Deradoorian (Dirty Projectors, Avey Tare’s Slasher Flicks) Japan Tour 2015〉

まずアメリカン・トラッドを伴奏に日本の神代の儀式、続いて能や浄瑠璃を思わせるような中東のミュージカル、最後は20世紀初頭のアメリカのラヴ・ロマンスへ。極上のハリウッド映画でも観た気分にさせられてしまった。鶴舞K・Dハポンで行われたニコラス・ケルゴヴィッチとエンジェル・デラドゥーリアンの来日、名古屋公演を目撃した。

tigerMos イケダユウスケ 2015年4月3日
Nicholas Krgovich + Deradoorian Japan Tour 2015
ゲスト:イケダユウスケ(tigerMos)

マラカス、ドラム・パッドも組み合わせての反復リズムから高揚感を生む。パーカッションとドラムスの2人を従えて、呪術的なファルセットで歌い上げたのは、アメリカ帰りのフォーク・シンガー、名古屋公演のゲスト・アクト、tigerMosイケダユウスケ。アコースティック・ギターの弦が切れたのを迷わず引きちぎって強引に演奏を続けたイケダは古代の荒ぶる神々のようだった。

続くエンジェル・デラドゥーリアンのパフォーマンスは、その神々を鎮める巫女のよう。ベース・ギターにフルート、マラカス、カスタネットを持ち替え、声とともにサンプリングして重ね、ループさせていく独りコーラス楽団。自然災害を防ぐための祈祷、あるいは収穫を祝う農耕祭儀を私はイメージしたが、それぞれ異なった人間の営みを観るはず。ダーティー・プロジェクターズ時代に共演したビョークにも通じる。演奏が進むにつれ、成人女性から少女、老婆の横顔まで覗かせて、何かが憑依したかのようだった。 アメリカ人である彼女にはトルコの隣国アルメニアの血も流れているが、中東の民謡が用いる節回し、ビブラートは日本の伝統音楽と通じるものがあるという。シルクロードを介して東西に起源を同じくする音楽が伝播していき、西側の人々がアメリカに渡り、その子孫が東側たる日本に来て演奏している奇跡。

一方、ニコラス・ケルゴヴィッチは弾き語りであるにも関わらず、バンド編成でのCD音源よりソウルフルかつグルーヴ感を感じさせた。まずはエンジェルとのセッションからスタート。ニコラスの甘い、わずかに影を帯びた声に、女声コーラスが加わって、まるで異人種が集うアメリカ、その郊外都市でのラヴ・アフェア。調理場でグラスがぶつかり合う音も相まって、深夜、ホテルのバーで流しのミュージシャンの演奏を聴いている気分になる。

ニコラス・ケルゴヴィッチとデラドゥーリアン
ニコラス・ケルゴヴィッチとデラドゥーリアン

美女がバーから去ると、メランコリックさ、哀愁が格段に増す。独りでピアノ弾き語りを始めてからが真骨頂。親近感も出てきて名古屋栄か、新宿の場末のバーの空気。もちろんいい意味で。ピアノを弾きながらイメージの中で踊りだすニコラス。演奏の合間にガッツ・ポーズをしたり、リズミカルに鍵盤を叩きながら両肩を大きくスイングしたり。最後の曲ではエンジェルが指を鳴らしてリズムをとる。恋人が彼の元に戻ったのだ。アンコールでは「ラヴ・ソング……だと思うんだけど」と呟いて静かなバラードを。ジョージ・ガーシュウィンが活躍した時代に迷い込んだような雰囲気でその夜の催し物は終わった。最小限のセットで最大限の想像力を刺激する、優美かつ圧巻のステージだった。(森 豊和

Nicholas Krgovich『Who Cares? + On Cahuenga』
Nicholas Krgovich
Who Cares? + On Cahuenga
7e.p., 2015年
BUY: Amazon CD, タワーレコード, iTunesで見る

【大阪HOPKEN】有機物と無機物の2項対立―それでも愛すべきは人―

Nicholas Krgovich + Deradoorian Japan Tour 2015 at HOPKEN
2015年4月4日 at 大阪本町HOPKEN
7e.p. presents〈Nicholas Krgovich (No Kids, Gigi, P:ano) + Deradoorian (Dirty Projectors, Avey Tare’s Slasher Flicks) Japan Tour 2015〉

HOPKENの2階に作られたステージは赤地の三角模様の絨毯が引かれていた。それが、客席とステージを分けるもので、ステージと客席は同じ高さにある。観客は、2階の入り口で靴を脱ぎ、床に座る。公民館での寄合かお寺での説法か学校や企業の宿泊研修か。そんな感じである。

そんなくつろいだ雰囲気の中、エンジェル・デラドゥーリアンが、Tシャツにジーンズ、素足、お茶を片手に登場。彼女も気負わない姿だ。ところが、一度、リズム・マシーンのスイッチを入れると空気は一変する。規則正しいパーカッション、それに多重の乗せられていく彼女の神々しいまでの響きのある声。消えてはまた現われ、森の中で霊かなにかが存在しているかのような錯覚を覚えた。それは恐怖すら感じた。木製のフルートの丸みを帯びつつも鋭い音色は日本の神社での儀式に使われる篠笛の音色に近いものがあった。

ところが、ライヴが進んで行くにつれ、ある違和感を覚えた。今回のPAのセッティング、リズム・マシーンとヴォーカルの出力スピーカーがおそらく違っていて、その2つが分離しているように感じられた。無機質なビートと有機的な彼女の声が分離しているのだ。デトロイト・テクノを思わせるような4ビートを奏でるリズム・マシーンに乗れず、彼女の伸びのあるヴォーカルに吸い込まれ、そちらのリズムに合わせて体は揺れる。いや、彼女の歌に圧倒されているのだ。リズム・マシーンは不要ではないのか、そう思うくらい。

その違和感を伴いながら、最後の曲で、この無機質なリズム・マシーンにデラドゥーリアンはマイクを手でたたいた音、自分の手拍子、声をリズム楽器として乗せていく。すると、どうだろう、声をリズムとして乗せたことで、同じ主のヴォーカルが呼応し、無機質なリズムと一体化したのだ。人の声を無機質なものに加えることで、有機的なものにし、こちら側に寄せる。リズム・マシーンが神だとすれば、デラドゥーリアンは巫女か。

神の儀式が終わり、再びまったりとした空気が流れる会場。しばらくして、ニコラス・ケルゴヴィッチとデラドゥーリアンがステージに登場。ニコラスもまた、Tシャツにジーンズというラフな格好である。ニコラスのギター弾き語りとそれをサポートするベースとコーラスのデラドゥーリアン。先ほどの圧倒されたステージとは一転、ニコラスの声量のあるやさしい抑揚のあるボーカルと支えるデラドゥーリアン。先ほどの儀式が終わり、まったりとした空気が流れる満月の夜、談笑し合っている男女のようだ。数曲、2人で演奏したのち、デラドゥーリアンが去り、ニコラスがピアノの前へ。

ニコラスによるピアノの弾き語りだ。のはずなのに、グルーヴ溢れる演奏、抑揚のあるボーカル、モダンで都会的な洗練された演奏に惹き付けられた。演奏の環境自体は非常にラフなものであるが、ジョン・メイヤーのようなメジャーフィールドで活躍する男性シンガーを彷彿とさせるものがあった。大阪であればフェスティバル・ホール、東京であれば国際フォーラムでも演奏しても遜色はないと言っても言い過ぎではない。気付いたら、体は、ニコラスの奏でるピアノのリズムに合わせて体は動いていた。先ほどの規則正しいリズム・マシーンによって奏でられるリズムには乗れなかったのに、だ。リズムに乗ると、演奏が聞けなくなるということもない。リズムに乗りつつも演奏が入ってくる安心感。ふと、思いだした。リズムは、イーヴンよりもスウィング(シャッフル)のほうが乗りやすいということを。

機械よりも人が生み出す音楽の持つ安心感。深山(原生地域)よりも人が作り出した環境(里山、集落、街)に住む安心感、神よりも人と生活する安心感、それを実感した。技術が発達して、単なる道具以上の存在となり、人が機械が共存するようなことになっても、人と居る安心感には叶わないだろう。また、それと対極にあたるような、人が立ち入ることのできない深山でも人は生活できない。人は人と接することで安心感を覚えるという、当たり前であるけれど、忘れていたこと・忘れがちであることを2人で表現した満月の夜であった。(杢谷 栄里

Dirty Projectors『Bitte Orca』
Dirty Projectors
Bitte Orca (Expanded Edition)
Domino Recording Co, 2010年
BUY: Amazon CD&MP3, タワーレコード, iTunesで見る
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