【クロスレビュー】セイント・ヴィンセント at 大阪梅田クラブ・クアトロ
- By: 関西拠点の音楽メディア/レビューサイト ki-ft(キフト)
- カテゴリー: Live Review
- Tags: St. Vincent


2015年2月19日 at 大阪梅田クラブ・クアトロ
セイント・ヴィンセントの持つ2面性
70年代のハードロック・バンドのギタリストを思わせるリフと不規則なビートで独自の世界観を築いてきたアニー・クラークによるソロ・プロジェクト、セイント・ヴィンセント。00年代後半、トレンドの一つとなった街ブルックリンに拠点を置き、ヴァンパイア・ウィークエンドなどと共に頭角を現したシンガー・ソングライターだ。最新作『セイント・ヴィンセント』(2014)では第57回グラミー賞オルタナティヴ・ミュージック・アルバムを獲得するなど大きな成功を手にした。バイオグラフィーをいまさら書くこともないと思う方もいるだろう。しかし、関西圏では〈サマー・ソニック 2012〉以来で今回が初の単独公演であること。そして、普段神戸のCDショップで働いている私からすると、彼女が日本のメディアからの評価と同等の人気を獲得しているかと言われれば疑問が残る。実際、今回の公演でも満員とはならなかった。学生時代から彼女の音楽に触れてきた私としては、8年越しの初ライヴに感慨深いものがあったと同時に、関西でこういった音楽が手軽に享受できる状況はできまいかと思いを新たにした。と前置きが長くなってしまったが、ここからは彼女のライヴ・レポートに移りたいと思う。
生音による有機的な音源よりも骨太なライヴになるかと思っていたが、想像の斜め上をいくものであった。ロボットのように関節をカクカクと動かし、表情を表に出さないがゆえに一体何を考えているのか読み取れない不気味さ。メンバーによるシンメトリーの振り付け。ドラム、2つのキーボードを軸にしたオートマチックな世界観。彼女の一切のムダのないアンドロイドな体を包み込むモード・ファッション。その世界観は徹頭徹尾コンセプト化されたエンターテイメント。そのパフォーマンスに私はクラフトワークの面影を感じた。元祖エレポップという文脈ではなく、同時代を生きるものとして少し浮世離れしているという意味でもプログレッシヴ・ロックの文脈のように思った。
しかし、クリアではなく少しジリジリと濁ったアニーのギターだけが唯一の弦楽器によるヒトの揺らぎを感じさせる音を発していた。ライブが進むに連れ、ツアー・メンバーの日本人女性であるトーコ・ヤスダ(元ブロンド・レッドヘッド)は、その揺らぎの部分へ焦点を当てるかのようにキーボードからギターへと楽器を持ち替えた。頭を突き合わすなど熱を帯びる2人のギター演奏は、無機質とは正反対のものであった。グリーンのライトで照らし出される彼女と眼があってしまった時の力強さと背筋が凍ってしまうような毒々しさは、彼女がタランチュラのように4本の足で歩き出すのではないかといった、得体の知れない怖さみたいなモノも感じるほどであった。
アンコールが終わり、メンバーと共に挨拶をした彼女の顔を見た時。先ほどまでとは一転、女性的な包容力のある笑顔が見え、ホッとすると共にプロのエンターテイナーとしての彼女の腕に拍手を送った。(杉山 慧)

セイント・ヴィンセント
Hostess Entertainment, 2014年
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やさしいカルト
「わが肉体には、獣と天使と狂人が住まう」とは、詩人ディラン・トマスの言葉である。彼を敬愛するセイント・ヴィンセントはどうだろうか。ノーブルな魅力を纏いつつもエキセントリック。曲によって、ロックからクラシックまで自由自在に回遊する彼女もディラン・トマス同様に多面性を持った人間に違いない。2012年に発表したデヴィッド・バーンとの共作『ラヴ・ディス・ジャイアント』(2012年)では、彼女があえて野獣役を引き受けることで、単なるデュエット作として収まることを拒んだ。男女の垣根をよじ登ることで獲得した筋力で、最近は今まで以上に自由に多彩なイメージを行き来しているように思う。そしてこの日のライヴでは、彼女のワイルドな面と聖母のような表情を垣間見ることによって、エンターテイメントというよりもある種の宣教活動のような趣きすら感じられるものであった。
県民性によるものなのか、開演までの大阪の会場はたいてい私語で賑やかなことが多いように思う。しかし、この日はなんだか少し静粛な空気でセイント・ヴィンセントの登場を待った。颯爽と現れた彼女は、ボディコンシャスな黒のレザーワンピース、すらっと長い脚に薄いストッキングが扇情的だ。蛍光緑のアイシャドウは自身のギターと同じ色で、どぎつい印象だが暗いステージによく映えていた。最新アルバムから「RATTLESNAKE」が1曲目に披露される。ノイジーなサウンドの中で切迫感を煽るように短いセンテンスを刻み、ファルセットも自在に操る彼女の歌声から溢れる表現力に思わずため息が漏れた。彼女がギターを手にすると、待ってました! とばかりに会場から歓声が上がる。彼女のギターは、始まって間もないジリジリとした緊張感が潜むライヴ会場を一瞬でカタルシスへ誘うようなパワフルな生命力に満ちたものであった。
ステージ上に設置されていたベビーピンクの祭壇は、今回のシンプルなステージ・セットにおいてかなり象徴的な存在であるにも関わらず、彼女がその上で歌ったのはたった4曲だ。ストレートなバラード「I Prefer Your Love」「Prince Jonny」には彼女の無垢な祈りが宿っている。そして、「幸運を祈る」という2本の指を交差させるおまじないをドラマチックに断ち切るようなジェスチャーをしながら歌い上げた「Savered Crossed Fingers」は「わたしには希望があるけれど、あなたの助けにはならない」と突き放すカントリー・ゴスペルだ。今作のテーマは「近未来の振興宗教の教祖」だというが、しかし彼女が目指したのは他者からの信仰の対象になることではない。今作がセルフ・タイトルである理由、それは「自分の心の教祖は他の誰でもなく自分自身であるべきだ」という宣言である。抑圧された女性の解放を目的とする『Half the Sky Movement』という活動に、“自分自身のコントロールを取り戻す歌”として提供している「Cheerleader」を今作以外で唯一祭壇上で歌ったことからも読み取れるように、その独立精神を他者にも促しているのではないだろうか。
ライヴ終盤、マッチョな男性にリフトアップされた彼女がフロアに近づいて来た。「もっとフロアに近づけて!」といわんばかりに腰をグラインドさせる野獣のような彼女を見て、私は同じ女性として何か「導き」のようなものを感じたのだと思う。気付けば、他の観客を押しのけ彼女の方へ向かい、もみくちゃになりながら必死に彼女のギターの弦を触っていた。そんな自分に少し驚きつつも、多面性とは、恐らくほとんどの人が隠し持っているものなのかもしれないと思った。あとはそれを、自分のタイミングで解放してやれば良いのだ。(稲垣 有希)

ラヴ・ディス・ジャイアント
Hostess Entertainment, 2012年
BUY: Amazon CD,
