【レビュー】Special Favorite Musicから遠く離れて | 『Royal Blue』

Pocket

Special Favorite Music『ロイヤルブルー(Royal Blue)』

Special Favorite Music
ロイヤルブルー(Royal Blue)
Pヴァイン・レコード, 2017年
BUY: Amazon CD, タワーレコード, 楽天ブックス

本作の話をする前に少しばかりSpecial Favorite Musicに関しての思い出話をしたい。今から1年半くらい前の2015年12月、大阪は南堀江にあるFLAKE RECORDSでの事だ。その日は7インチレコードで発売されたシングル『Dribble / Future』のインストア・イベントであったのだが、イベントの中盤で「クリスマスも近いという事で今日は特別にカヴァー曲をやります。」と言って小沢健二の「流星ビバップ」をやったのだ。

2015年なので今のように完全復帰をする前であり、それを観た私は「なぜに小沢健二?」とも思っていたが、今から考えれば至極納得のいく選曲だと思う。なぜならばSpecial Favorite Musicは小沢健二であり『Royal Blue』は2010年代の『LIFE』というべき作品なのだから。

小沢健二の『LIFE』と言えば90年代を代表する日本語ポップスでありながら、彼の愛すべき音楽をドラステックに引用し、恋人との出会いと別れ視点に置いてドラマティックに描いた作品である。また華やかなブラスサウンドやストリングス、コーラスを脇に置きながら見栄を切って歌うスタイルは昭和の歌謡スターの体現を平成の世に行った作品だともいえよう。

昭和の歌謡スターへの憧れは後に『強い気持ち・強い愛/それはちょっと』で昭和歌謡のオーソリティーであった筒美京平と共作したことでピークを迎えるわけだが、この筒美京平もまた小沢健二同様に洋楽をドラステックに引用して歌謡曲に昇華させることを挑戦し続けた人間である。そういう意味では『LIFE』というのは90年代を代表するポップスでありながら、小沢健二が筒美京平に成り代わり歌謡曲を復活させたアルバムだとも言い切ってもいいのかもしれない。現に『強い気持ち・強い愛/それはちょっと』のシングルCDのジャケットには「小沢健二=筒美京平 スペシャルソングブック」と明記されていた事からも小沢健二がいかに筒美京平を敬愛していた事がうかがい知れる。

では小沢健二、筒美京平の双方はなぜ洋楽の引用を行ってきたのか。それを一言で答えるのであれば“折衷的”というキーワードに集約できる。彼らの楽曲的は自分が好きである音楽、例えばソウル・ミュージックやファンクといった音楽をいかに日本的な文脈といかにすり合わせていくかという事にポイントが置かれていた。そしてすり合わさった先に、海外と日本が折衷されたその先に新しい楽曲が生まれるわけであるが、この“折衷的”というキーワードはそのままSpecial Favorite Musicにも当てはめる事が出来る。

Special Favorite Musicのサウンドを聴けばディスコやソウル、インディーR&B、インディーポップといった様々な音楽が断片的に表れるわけであるが、それがきちんと昇華された形で日本語ポップスの文脈に締結していることに驚かされる。それは彼らのルーツミュージックの中に歌謡曲があることが最大の要因であり、例えば本作の1曲目にあたる「Royal Memories」はディスコミュージック、とりわけフィリー・ソウルやサル・ソウルといった歌モノのソウル・ミュージックの印象を受けるが、よくよく聴けばブラスのアレンジや人なっこいメロディは実に歌謡曲的である。

この“折衷的”な楽曲構成は小沢健二が『LIFE』で目指した筒美京平的な価値観と共通する部分であるように感じるし、またSpecial Favorite Musicのクメユウスケも「アレンジに関しては筒美京平を目指した」と各所インタビューで語っていることからも小沢健二=筒美京平=Special Favorite Musicという図式がおぼろげながらも見えてくる。

Special Favorite Musicと小沢健二と共通する点はまだある。彼らの『Royal Blue』は「Royal Memories」と「スタンドバイミー」、「Goodnight」と「Secret Keys」、「EVER」と「Highlights」と曲順が隣通しの曲で“恋をする喜び”と“別れの刹那”をイメージされる曲が対立的に配置されているのだが、これは小沢健二の代表作でもある『LIFE』でも「愛し愛されて生きるのさ」と「ラブリー」、「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」と「いちょう並木のセレナーデ」いった同様な形式がとられているのだ。

また「今夜はブギー・バック」のポジションにSpecial Favorite Musicは《続けて 夢中さ/このリズムだけに/体を預けて》と歌われる「Ceremony」という楽曲を持ってきている。そしてこの「今夜はブギー・バック」と「Ceremony」20年以上離れた楽曲ではあるが当時の時代背景を考慮すると同じテーマ性をはらんだ曲だともいえるし、それを説明することはSpecial Favorite Musicという小沢健二の末裔のような存在がこの時代に生まれたのかという理由へとも繋がる。ただそれを語るには小沢健二が活躍した90年代に時計の針を戻す必要がありそうだ。

1991年、湾岸戦争が勃発し、国内ではバブル崩壊が始まり失業率が上昇。フリーターと呼ばれる人々も増加。オウム真理教といった新興宗教や自己啓発セミナーにハマる若者たちが増加し、女子高生は自らの下着を売り援助交際に走る。摂食障害や過剰なピアッシングなどもこの頃から急激に増加し社会問題となった。そういう世間をまるで見透かしたかのように登場したのが鶴見済の『完全自殺マニュアル』であった。センセーショナルなタイトルに自殺の方法を事細かく書かれた内容で100万部を超えるべストセラーになったのだが、この作品は自殺幇助のために書かれたわけではなく、この世界を生きるために書かれたと筆者は語る。

「強く生きろ」なんてことが平然と言われている世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。(鶴見済著『完全自殺マニュアル』1993年、太田出版)

ここで言われる“閉塞してどん詰まりの世の中”こそバブル以降の若者たちが見た日本の姿であるし、これに呼応するように岡崎京子は『リバースエッジ』を連載し閉塞した日常の中でもがきながら生きる若者たちを描き、小林よしのりは『ゴーマニズム宣言』で生き苦しい社会に対して知識人を無視した庶民の思想を表現する事で若者に共感を呼んだ。

“終わらない日常”といわれた90年代。誰しもが心の中に「生きづらさ」みたいなものを抱え込んでいたこの時代の空気を察知したかのように生み出されたのが「今夜はブギー・バック」であった。

スチャダラパー本人も度々インタビューで語っていることではあるが「今夜はブギー・バック」の歌詞、リリックに内容はない。「ダンスフロアで一緒に踊ろうよ」ただそれだけである。これはスチャダラ曰く、「林檎殺人事件」や「ふたりの愛ランド」といったコラボした変な曲、いわゆる「珍盤」と呼ばれるようなものを制作したいという思いから出来た曲(※1)であるが、しかしこの曲は 50万枚(※2)を超える大ヒットした。それは“こんな生きづらい世の中だけど今夜くらいは楽しく踊ろうよ”というテーマが若者たちの胸にささったからこそヒットしたのではないだろうか。

あれから20年以上たった。2020年にはオリンピックが開催されるこの日本という国は90年代と比べて少しでも生きやすい社会へとなったのか。経済不況、少子高齢化は進み、ブラック企業なんて飛びかうこの日本はバブルがはじけたあの頃に比べて若者たちにとっては生きやすい世の中になったのか。私は思う。何も変わっていない、いやむしろ悪くなっているのではないかと。そんな世の中に対してSpecial Favorite Musicは「Ceremony」でこんなメッセージを投げかける。

将来どんな歌も分かち合えない/そんな夜が来たって
今日出会えたことを思い出だすために/踊り続けようぜ

私たちの住むこの日本は確かに生きづらいかもしれない。でも、この音楽が流れる時だけは、この一瞬だけは、みんなので時間を忘れて踊ろうではないか。終わらない日常のなかで小沢健二とスチャダラパーが歌ったあの「今夜はブギー・バック」のようにだ。

日本に明るい未来はないかもしれない。同じ日常を繰り返すのかもしれない。でも私たちにはSpecial Favorite Musicがいる。そして『Royal Blue』という音楽がある。彼らが鳴らす音楽がある限り、私たちは生きていける。

  • ※1 TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」2008年2月23日放送回より
  • ※2 売り上げ枚数は「今夜はブギー・バック(nice vocal)」と「今夜はブギー・バック(smooth rap)」の合算によるもの。