【レビュー】~紙の月~ | Special Favorite Music『World’s Magic』

Special Favorite Music『World's Magic』
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Special Favorite Music『World's Magic』
Special Favorite Music
World’s Magic
P-VINE RECORDS, 2016年
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ここは見世物の世界 何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる

(作曲:ハロルド・アーレン 作詞:エドガー・イップ・ハーバーグ、ビリー・ロウズ 「It’s Only a Paper Moon」より抜粋)

村上春樹の『1Q84』はこんなエピグラフから始まる。この小説に登場する“1Q84”という世界ではビック・ブラザーという大いなる支配者がいなくなり、向かうべき目的を失った若者達が“ここではない、どこか”へと自らの存在を求め、その結果リトル・ピープルに魅せられてしまい、捕らわれるといった事が描かれている。僕はこの小説を読みながら「もし、この世界にこんな音楽があれば人々は救われるのでは。」と、そんなことを考えていた。自らをリトル・ピープルの時代に生まれ育ったというSpecial Favorite Musicはそんな心に傷を負い、疲れ果てた人々に音楽という魔法で一筋の光を届けてくれる。そう、それが『World’s Magic』である。

僕がこのバンドを知ったのは今から2年ほど前に『Explorers』というEP作品を聴いたのがきっかけであるのだが、その頃はNOKIES! というバンドのクメユウスケという人間のソロ・プロジェクトとして認識していた。しかし、続く『ROMANTICS』という2nd EPでサポートを含めメンバーを固め、クメ以外のメンバーが作曲やボーカルと務めたりとクメのソロ・プロジェクトとしてではなくSpecial Favorite Musicというバンドとして始動した印象を受けた。また、この『ROMANTICS』では〈子供のころにはあったけど大人になったときになくなっていたものや感覚みたいなものに対する憧れ〉をテーマにしており、この作品以降“ノスタルジーへの憧憬”をテーマとした音楽を作っている事からも、この作品がバンドとしての一つの転機であったようにも感じる。

さて、話を『World’s Magic』に戻そう。サウンド聴けばをネオ・ソウル、R&B、ギター・ポップ、J-POPや歌謡曲といった様々なルーツがバックグラウンドとして持っているバンドであるという事や、『ROMANTICS』以降に見られるノスタルジーの憧憬も感じられる作品ではあるのだが、本作で注視すべきなのは1音聴くだけでずっと聴いていたくなる、その“居心地の良さ”である。例えば楽曲全体を緩やかなテンポに設定し、ソロパートや各楽器に極端に難しいフレーズを配置せず、アンサンブルに重きをおいたアンビエントなサウンド作りに徹している点、辛い現実や日々の一コマを切り取る事はせず、そんな日常から抜け出して〈未来都市から海底二万マイルのパーティへ〉(M7「Ghostopia」)といった非日常的なユートピアへと旅に出ていこうとする歌詞など、全体を通して“今いるこの世界を忘れさせる”ことに尽力している事がわかる。しかし、どうしてここまで現実を忘れさせるような作品作りに注力したのだろうか。

この作品を作るにあたりクメはインタビューの中で梶井基次郎の『檸檬』をモチーフにしていたと語っている。『檸檬』といえば精神的に落ち込み自分に居場所がないと思った主人公が檸檬を爆弾に見立て、それを特に居場所がないと思った場所に置くことで落ち込んだ気持ちを晴らしてくれる内容であった。つまり、この小説における檸檬が音楽になると『World’s Magic』になるのではなだろうか。居場所がなく“ここではないどこか”に自分を置きたいと思った時にいつでも“いるべき場所”を提供してくれる音楽。希望を失い路頭に迷いそうな時に心の灯りになる音楽こそが、本作のいう魔法ではないだろうか。そして、それはどれだけ辛く苦しい世界であっても信じられる物があれば救われる、あの「It’s Only A Paper Moon」のように。

このアルバムのラスト「World’s Magic」という曲で〈巡り廻る 生と死/僕らどこまでも行こう〉とこの魔法は永遠のものだという事を伝える。再生ボタンさえ押せばイヤホンからスピーカーから僕らは何度も“ここではないどこか”へと連れて行ってくれる音楽。もうリトル・ピープルなんて必要ない、信じれられる『World’s Magic』とさえあれば。

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