【レビュー】群衆の中の孤独を描いた虚構の物語 | tofubeats『FANTASY CLUB』
- By: 杉山 慧
- カテゴリー: Disc Review
- Tags: tofubeats


FANTASY CLUB
ワーナーミュージック・ジャパン, 2017年
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tofubeats(西神ニュータウン育ち神戸在住)のメジャー3作目となるアルバム『FANTASY CLUB』は、神戸に住みショッピングモールで働く私にとっては地方という周縁に暮らす人々のサウンドトラックだと思う。
本作には収録されなかったが、KOHH(豊島五丁目団地育ち)がビートジャックしたことでも話題を集めた「Drum Machine」は、ビートメイカーとしての憂いが吐露されているようであった。その中には、地方の画一的と言われる都市で生まれ育った者は、そこに居心地の良さを感じてしまうという憂いも含まれているように思う。本作の中心に成す「SHOPPINGMALL」は、その延長線上として、地方都市の街並みの核となるショッピングモールをテーマに据えることでより多くの人が共感できるような形にアップデートされた楽曲となっていると思う。
何かあるようで何もないな
ショッピングモールを歩いてみた
最近好きなアルバムを聴いた
とくに話す相手はいない
上記の文は「SHOPPINGMALL」の最後のヴァースである。ここでは“群衆の中の孤独”をショッピングモールを舞台に描いて見せている。そして、この曲のゆっくりとしたBPMに人との微妙な距離や空気。さらにシンセの音には、ショッピングモールとセットになっているスーパーマーケットのBGMのようにも感じる。
本作ではイントロの「CHANT#1」から物事に対する反芻が自問自答の形で繰り返されている。そのどこか客観的な視座は、アウトロの「CHANT #2」まで一貫している。最後のスキット部分では、船の汽笛や鐘の音など神戸の街の音で締められている。そこには、本作全体を俯瞰し、「SHOPPINGMALL」や「THIS CITY」などと共に本作を自分の住む街との関係に置き換えて考えさせるような効果があると思う。
最近、私はNAS(クイーンズブリッジ団地育ち)『illmatic』(1994年)がなぜ名盤と言われるのかに迫ったマシュー・ガスタイガー著『NAS イルマティック』(2017年)や映画『Time Is illmatic』(2014年)を観たり読んだりしていた。名盤が生まれた理由として地元クイーンズブリッジのプロジェクト(低所得者向け公営住宅)での彼の個人的な暮らしをドキュメントしたからこそ生まれた、当時のアメリカ都市部のプロジェクトに住む人々への共感を上げていたと思う。銃やドラッグの問題を扱ったNAS『illmatic』と『FANTASY CLUB』は全く別もののように感じるかもしれないが、収録曲の「SHOPPINGMALL」には、ショッピングモールを軸にした地方都市に暮らす人々の日本の風景に対する共感という所は、時代と場所の違いはあれ、カルチャーの中心地ではなくその周縁で暮らす人々の生活描くという点で通じるものがあると思う。それは宇多田ヒカル『First Love』(1999年)などを例に上げて彼が常々語ってきたポップにおいて大切なこととは個人的なことを突き詰めた時に出てくる普遍性であるという彼の発言ともリンクすると思う。
彼は本作のキーワードとしてポスト・トゥルースという言葉を上げていた。ポスト・トゥルースとは、WEBなどの科学技術の発展により流動的な社会が出来上がり、それを下地として立ち現れてきた各人のバイアスがかかった感情的な物言いばかりが取り上げられる社会*1 。tofubeatsはそんな現代のドキュメントとして、地方都市を舞台にポスト・モダン社会が内包する“群衆の中の孤独”にフォーカスして『FANTASY CLUB』という虚構の物語を作ったのではないだろうか。
*1 TBSラジオ「文科系トークラジオLife」2017/02/26放送回「ポスト・トゥルースのその先へ」