

ハッピーポンコツランド
ビクターエンタテインメント, 2017年
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今日は毎年、KBS京都ホールで開催されるボロフェスタのお話です。もう10年以上やっているフェスなのですが私が行き始めたのは一昨年の事で、その時の様子は以前ki-ftでも「坩堝を楽しむ」という題でライヴレポートとして書きました。
本当に毎年「ここはどこの高校の文化祭だ?」ってくらいDIYな感じがあり、面白いフェスで出演者もバラエティーに富んでおり、今年も行こうと思っているのですが、このライヴレポートを書いた2015年のボロフェスタで私にとっては大切な出来事がありました。まるで“新しい思い出”を作るため神様が引き合わせたような。今回はコラムではなくエッセイであり、私の思い出話なのですが私としてはどうしても話しておきたいことなので、今日だけ私のわがままを許してください。
さて2015年のボロフェスタの話を今からしたいと思うのですが、その前に大事な人を紹介しないといけません。それは私のライヴ友達であり、飲み友達であった彼の事です。彼と出会ったのはもう何年も昔の事です。たしかTwitterでたまたま見かけた音楽好きが集まる飲み会みたいな企画があって、その時に出会ったのが彼でした。私よりも年上で気さくな人柄もあり、すぐに打ち解けた私たちは友達と一緒に飲み会やカラオケ、夏には河川敷でバーベキューやフェスへ行きました。彼は色んなバンドが好きでサカナクションやthe telephonesといった音楽を聴いた瞬間に楽しく踊れるバンドが好きでよくライヴに行ってたりしてました。そんな彼が好きなバンドの一つにキュウソネコカミがいました。
キュウソがまだ小さなライヴハウスで活動してた頃、それこそ京都のライヴハウスだとnanoに出ている頃から足しげく観に行ってて、MCの時にはガンガン野次を飛ばして、曲が始まると思いっきり踊って「ヤンキー怖い」とコールしていました。そういえば、ある夏フェスで私が初めてキュウソネコカミを観て「キュウソはじめてライヴ観たんすけどカッコいいすね!」って彼に興奮気味に言うと「あいつらがカッコいい? 頭おかしいだけですよ。」と笑いながら言ってたことを今でも覚えています。もちろん愛情の裏返しだったのは言うまでもないのですが。
しかし運命というのは時に残酷なもので。
それから半年後の雨の日に彼は天国へと旅立ちました。
その情報を知ったのは皮肉にも彼との出会いのきっかけでもあったTwitterからでありました。映画だと、そういう悲しい知らせを聞いたら自然に涙が零れるものですが、知らせを聞いても私は溜息が止まらなく何度も何度も出てくるくらいで、涙は出ませんでした。いま振り返ると、たぶん彼が亡くなった事に対して受け入れる気持ちよりも、理解したくない気持ちの方が優っていたのだろうと思います。亡くなってからしばらくは「彼から何らかのツイートがあるのでは。」と何度も何度もスマホの画面を見返したり、時には「元気?」とダイレクトメールを送ったりとかしてました。もちろんツイートもメールの返事もありませんでしたが。
ちなみに彼の大好きだったキュウソのメンバーたちにも彼が亡くなった情報は入ったようで。インディーズの頃からよく観ていた観客の一人であった彼に対して、メンバーであるヨコタシンノスケさんからは「まだ全然動員も無い頃よく来てくれて踊ってくれて本当に嬉しかったです。まだこれからやから見てて欲しかった。ご冥福をお祈りいたします。」とTwitterでメッセージが送られていました。
時は経って、永遠の別れから1年以上過ぎたある日、私はボロフェスタに行っていました。もう10年以上開催されているのに今まで一切行った事がなかったのに、その年は何故か「行きたい!」という気持ちに掻き立てられて、夜勤明けの仕事が終わってからKBS京都ホールに直行しました。「体だるいな……。」なんて思いながらホールに入ると、たまたまキュウソがステージで演奏していました。しかも演奏しているのはアルバム『ハッピーポンコツランド』に収録されてある「なんまんだ」という曲でした。ワンマンならまだしも、フェスではあまりやらない曲であるので、「なんでやっているんだろ?」と思っていると演奏終了後にボーカルのヤマサキセイヤさんがこんなことを言いました。
『「なんまんだ」って曲はnanoでやってる時に凄く踊ってるお客さんがいて、そのお客さんが亡くなって作った曲でして』
その話を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれました。「彼のために歌ってくれた。」そんな思いと今まで彼と遊んだ記憶が頭の中でフィードバックされ、次から次へと涙が止めどなく出てきました。それからもキュウソのライヴは続いていたのですが、私はライヴを観ず会場の端で泣いていました。「ありがとう、ありがとう」と言いながら。
いまこの時の事を思い出すと偶然が重なっていたように感じます。私が何年も行った事がなかったボロフェスタにその年初めて行ったこと、そして会場行くと偶々キュウソが「なんまんだ」をやっていた事。でもそれは全て“私と彼との新しい思い出”を作るために神様が引き合わせてくれたのだと今では思っております。もちろんキュウソが彼のために歌われた曲かどうかは明言はしていませんし、たぶんこれからもnanoで凄く踊っていた客が誰かは言わないような気がします。しかし私にとってはこの出来事で「なんまんだ」を聴くと彼の事を思い出す大切な曲になりました。時々、思い返したようにこの曲を聴いては空を見上げながらこう思うのです。「この曲を彼が聴いたらどう思うのかな?」と。多分、彼の事だから「こんな俺を泣かせる曲を作る暇があったら、皆をダンスさせる曲を作れや!」なんて言うと思いますが(笑)。
さてこの文章を最後まで読んでいる皆さまへ、今日はマーガレット安井のわがままに付き合っていただき、ありがとうございます。ついでにと言っては何ですが、この文章の最後を天国にいるであろう彼へと贈る言葉で締めさせてください。その言葉はキュウソの「なんまんだ」の歌詞の一節です。このフレーズを聴くたび私は彼の事をいつも思い出しますし、たぶんそれは私以外の彼と時間を共有したすべての人が思っていると感じます。この言葉を彼へと送り、私のつたない散文へはピリオドを打ちます。それでは私からの、いや彼を愛したすべての人からのメッセージとしてこの言葉を送ります。
《あなたのことを忘れないよ/一緒に踊ったあの日々を》