【マーガレット安井の日々の泡2】洋楽のライヴを観ながら考えた事 ~ディプロとホイットニーと観客~
- By: マーガレット 安井
- カテゴリー: Column
- Tags: スミス・ウエスタンズ, ディプロ, ホイットニー


ライト・アポン・ザ・レイク
Secretly Canadian, 2016年
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今年に入ってから海外のアーティストのライヴを2度ほど観た。一つは、2000年代後半の世界的ダンス・ムーヴメントの立役者の一人でもあるディプロのライヴだ。そもそも、私はダンス・ミュージックにそこまで興味がないのだけど、友達から誘われたのと、ディプロがトラックを手掛けたM.I.A.やMØが割と好きだったので、社会見学的な感じで観に行った。ライヴ自体はMØやメジャー・レイザーのナンバーを含めつつ、時折、ホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」(映画『ボディーガード』のアレね)やロス・デル・リオの『恋のマカレナ』をフックに使い、ラストにはMØの『Final Song』で締める。といった鉄壁の布陣で「エンターテインメントはこういう事だ!」と言わんばかりのステージだったので私は楽しんだ。しかし、凄く楽しんでいた気持ちとは裏腹に、気になる事もあった。それは、私の背後に誰もいなかった事だ。
私がライヴを観に行った会場は2,000人以上収容できるライヴハウスであり、その2/3くらいの位置に私はいたのだが、残り1/3が柵で仕切られ、誰一人としていなかったのだ。つまりは観客の入りが悪かったので会場側が柵で仕切り、前方に観客を詰めていたわけである。海外で数万人相手にライヴを行うし、関東では〈electrox 2017〉のヘッドライナーとして幕張メッセを沸かせていたディプロのような人気DJでもそのような事が起こるのかと驚かれる方もいるかもしれないが、ここ数年の関西の洋楽事情を言えば、東京では即日完売するような公演でも集客に苦しむような事態が起こっており、こんな事は今に始まったわけではないのだ。今日の様子を見てディプロはどう思ったのか。友人は「武道館クラスのバンドが地方のライヴハウスで観れた感じで凄く楽しかった。」とは言ってはいたが、このような状況でまた大阪に来てくれるのか、そんなことを思ってしまった。
そして、もう一つライヴに行ったのがホイットニーであった。ホイットニーと言えば、元スミス・ウエスタンズのギタリスト、マックス・カケイセックとドラマーであるジュリアン・アーリック率いるシカゴのインディー・ロックバンドであり、デビュー・アルバム『ライト・アポン・ザ・レイク』は海外の音楽メディア等で年間ベストにも挙げられた作品だ。ちなみに、私も本作がとても好きだ。ソウルとカントリーを横断するようなサウンドや、ジュリアンの美しい歌声、そして、これだけ手を込みながらも歌われている内容が“失恋してもなお、彼女を愛している”というごく個人的な内容に終始されていたことが素晴らしいと思ったのだ(ちなみに、彼らがこのバンドを結成した時は実際、マックスもジュリアンも失恋していたとか、いなかったとか)。
そんな、彼らの初来日公演という事で期待して、日々の食費を切り詰めて何とか捻出したお金でチケットを買ったのだが、そのライヴの前日にちょっとした事件が起きていた。大阪公演の前日にホイットニーは東京でライヴを行っていたのだが、それを観た観客の反応が悉く悪かったのだ。私はそのライヴは観ていないのでTwitter等の情報になってしまうのだが、ジュリアンの喉の調子が良くなくて、ステージドリンクであるワインを飲んで体調が悪くなり、途中退場を2度ほどしてほぼ中断みたいな状態でライヴが終了したとの事。「明日、観に行くんだけど、こんな感じで大丈夫なのかな……」とスマホの画面を見ながら、そんなことを呟いた。
ライヴ当日、梅田シャングリラには多くのオーディエンスが押し寄せており、私もビールを飲みながら彼らの登場を待っていた。定刻から10分ぐらい過ぎたところで暗転しライヴがスタート。ふらっとした感じで、ギターを持ったマックスとマイクを持ったジュリアンが登場。ジュリアンはステージに座わり観客とコミュニケーションを取りつつ歌いだすと、彼の優しく伸びやかファルセットが会場を包む。それからバンドメンバーを呼び込み「Dave’s Song」や「Polly」といったアルバムからのナンバーを披露したのだが、彼らの演奏を観て驚いたのがCDで聴く以上に情熱的で熱量が溢れかえっていた事だ。中でも白眉だったのが「Red Moon」。アルバムでは只のインスト曲くらいにな感じであった印象が、ライヴで観ると各個人のセッション能力の上手さと、エモーショナルの高ぶりに私自身興奮し何度も歓声を上げてしまった。
そして、それは私以外のオーディエンスも同じだったようで、彼らのライヴ中には会場から何度も歓声が沸き起こっていた。ライヴ中盤では、ジュリアンが誕生日を迎えるらしく、観客とメンバーでハッピーバースデーを合唱。これにはジュリアンが恥ずかしそうに服で顔を隠しながらも喜んでいた。そして、最後には彼らの代表曲でもある「NO WOMAN」を歌い優しい余韻が会場を包み込んでライヴは終了。時間にして1時間ジャストであったが、大変充実したステージであった。そして、このライヴの帰り道に私はディプロを観た帰りに友人が言った、こんな言葉を思い出した。
「私ね、海外のライヴ動画とか観るんだけど、それを観てしまうと日本のお客さんってあんまり盛り上がってないのかなって思う事があるんだよね」
僕もこの言葉には同意である。海外のライヴを観ると日本よりも盛り上がっている印象はあり、とくに洋楽のアーティストではそれは顕著なように感じる。もちろん、「言葉の壁がありMCがわからなので盛り上がれない」とか「そもそも、それは日本のお国柄だろ」と言われてしまえばそれまでである。だが、ライヴをしている人間にとって盛り上がっていた方が「もう一度この国でライヴしたいな」って思うものではないだろうか。
では、ホイットニーの大阪公演における観客の盛り上がりはどうかといえば、私個人の尺度になってしまうのだが、通常の大阪で行われる洋楽のライヴ、または初来日のアーティストのライヴの倍以上に観客の反応はとにかく良かった。それは理由を挙げると、東京公演における彼らの態度を観客が事前に知っていた事やライヴでの彼らが予想以上にエモーショナルで熱量が高かった事など要因は挙げられるのだが、そんな甲斐もあってホイットニーのメンバーはずっと笑顔で楽しそうに演奏を行っていたし、「また大阪でライヴをしたい」と感じたのではないだろうか。
別に私は「無理に盛り上げていこう!」みたいなことを言うつもりは全くないが、せめて「素直にライヴを自由に楽しんでいこう!」とは言いたい。観客が素直にバンドのライヴを観る。良かったら歓声を上げる。楽しかったら踊る。それが集客に悩むこの大阪で観客として「この場所でライヴがしたい。」とアーティストたちに思わせる最大の方法ではないだろうか。もちろん、これらの事は、ごく当たり前の事ではある。当たり前の事ではあるのだが、その積み重ねこそがいずれ大きな結果として返ってくると私は信じたい。そんなことを思いながら、今日もスピーカーから流れる「NO WOMAN」を私は聴いている。

Revolution
Mad Decent, 2013年
BUY: Amazon CD,