【コラム】5つのキーワードでケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』を紐解いてみた。
- By: 杉山 慧
- カテゴリー: Column
- Tags: Kendrick Lamar


To Pimp A Butterfly
ユニバーサル・ミュージック, 2015年
BUY: Amazon CD&MP3,

1) フッド
黒人初の大統領バラク・オバマ。彼は2015年のベスト・ソングに『To Pimp A Butterfly』の「How Much A Dollar Cost」を選んだ。しかし、彼は本作の「Hood Politics」で黒人スラングを真似るとして揶揄されている。それはハワイ育ちであるオバマ大統領はブラザーではないからなのだ。それは彼の前作『Good Kid M.A.A.D City』や映画『ボーイズン・ザ・フッド』が分かりやすい。これらから分かることは、アフリカン・アメリカンにとってニガーとは色ではなく文化的アイデンティティであることが表れているのではないか。そんな楽曲を含む3作目の本作で、ケンドリック・ラマーは個人史をアフリカン・アメリカンの歴史と重ね合わせ、フッドの持つ問題点をまず黒人から変えるにはどうすべきかと説いた。
2) ルーツ
個人史とアフリカン・アメリカンの歴史を重ね合わせることを分かりやすく伝えているのが「King Kunta」だ。ここでは、作家アレックス・ヘイリーが自身の家系を辿りアフリカン・アメリカンの歴史を描いた小説『ルーツ』の主人公であるクンタ・キンテをモチーフにケンドリックがヒップホップの王者となっていく様をキング・クンタとして描いた。この曲では、『ルーツ』のテーマともなっている、アフリカン・アメリカンとしての誇りを持ちつつ、アメリカ社会の一員として生きていくことを象徴的に表している。しかし、「Wesley’s Theory」でのドクター・ドレやジョージ・クリントンという音楽界の巨人を使って頂点に登っても、黒人は「ウェスリー・スナイプスのようにアメリカ社会から食い物にされるぞ」と警鐘をならす場面。
「Blacker The Berry」での、「アフリカへ帰ろう」と大衆を扇動したマーカス・ガーヴェイ、黒人皆の憧れの的であり白人が好む黒人のアイコンでもあるマイケル・ジョーダンなどを登場させながら、黒人社会と白人社会で語られる黒人像を皮肉るなど、綺麗事としては片付けられない現実問題としてある白人側からの差別と黒人側からの差別という、簡単には解けない縺れる問題を彼の視点から描いている。
3) JB
このように本作はブラック・カルチャーの教養が要求される作品だ。テーマとしてルーツという言葉がキーワードとなっている「King Kunta」では、ジェームス・ブラウン「Payback」をサンプリングしているところにも本作のムードは表されていると思う。JBの中でも「Payback」はヒップホップで常にサンプリングされてきたクラシックスである。これを使うということは、そのサンプリングの歴史を肯定すると共に、本作もまたその歴史の一部であることを伝える。それはもちろんブラック・カルチャーにおける大巨人であり、ファンクの父へのリスペクトの表れである。ジェームス・ブラウンとは、松尾潔氏のインタビュー(『松尾潔のメロウな日々 (SPACE SHOWER BOOKS)』 )でも語っているように、「成功とは自らがのし上がるだけでなく、地元に還元して初めて成功したと言える」と発言しているし、フェスティバル〈ザイール74〉のドキュメンタリー映画『ソウル・パワー』では、アフリカン・アメリカンに対し“我々黒人もまた人間である”という強いメッセージを訴えかけるなど、理想主義的なバック・トゥ・アフリカを掲げるのではなく、アメリカ社会というリアリティの中で強く生きていかなければならないと説いた人物である。そして、JBのこのような思想は、本作にも影響を与えているように思う。
4) i
本作でのケンドリック・ラマーの思想が最も表れている「i」で、彼は自尊心を獲得することの大切さを説いた。そして「ニガが犠牲者を演じるのは、もううんざりなんだ」という象徴的な語りが挿入されている。「Motal Man」では頂上に長くはいられないという不安と共に、「ストリートでお互いに与えた痛みと傷をすべて忘れること」と語り、ネルソン・マンデラのように相手を許すことの重要性を説いた。本作のこのような点は彼の個人史を読みながらも、アフリカン・アメリカンの歴史の教科書を読んでいるかのような伏線が敷かれている。さらにブラック・ミュージックのレジェンドたちから様々なフレーズを拝借しており、そこには彼らが音楽を通じて多くの歴史認識を学んできたリスペクトが込められているのではないだろうか。
5) respect
このように見ていくと、2014年8月9日に起こった白人警察官による黒人青年マイケル・ブラウン射殺事件での彼の発言の真意が見えてくるのではないか。
「あの事件は起こるべきじゃなかった。でも俺たち(アフリカ系アメリカン人)に自尊心がなかったら、どう相手から尊敬されるのか? デモや略奪だけじゃなく、尊敬はまず自分の内側から始まるもの」
彼のこの発言に対しては批判もされた。それは複雑に絡み合う歴史認識が物事の本質を見えにくくしていることの証左のように思う。その縺れが生み出す人種間の問題を解決するために、本作では黒人コミュニティに属する者として内側から変えることのできることに焦点を当てているのではないか。そしてアルバムの最後、2PACとの架空インタビューの中でケンドリック・ラマーは“音楽が我々に与えられた希望の一つだ”と語っている。ラッパーとしての彼の立脚点をはっきりさせ、音楽を希望と捉える印象的なフレーズは彼のイデオロギーを表しているように思う。本作は取り扱っているテーマ、サウンドの幅、変幻自在のフロウとその全てに惹きつけられる。そんな本作に対して難癖を搾り出すとすれば、本作『To Pimp A Butterfly』と同じようにアメリカ社会をテーマにしつつもマーヴィン・ゲイ『What’s Goin’on』にはあった男女関係を描いたようなエロさが欠けている事ぐらいだろう。