

これでもかと“BED節”を突き詰めた金字塔的な前作『Indirect Memories』以降、ベーシストの村山が事情により抜けていた間も、魚頭圭(OSRUM)、福本貴志(ex.up and coming)、安岡勉(my ex)らに支えられながら、バンドは活動を止めること無く、ライヴや曲作りを進めていった。結成から10年を越え、昔から彼らのことを知る者にとって、“この4人こそBED”という固定観念は少なからずあっただろう。しかし、4人は環境の変化に柔軟に適応。そして妥協の仕方を知っていた。スタジオでのセッションによるリフを主体とした曲の作り方を改め、2人のヴォーカリスト(山口と山本)は、弾き語りから曲作りを始めるようになった。その結果、本作『via nowhere』ではソングライティング力もしっかりと聞き取ることが出来る。
本インタビューでは、個々人の生活にフォーカスしながら、音楽面、そして10年先のことを考えてもらった。前作のインタビュー(『bed『Indirect Memories』Web Zine』)、本作の別媒体でのインタビュー(アンテナ、PODCAST)などを共に読んでもらうと、聞き方も変わってくるのではないかと思っている。関西に住んでいるけどBEDを知らない、またはあまり聞いたことがない人にこそ、すすめたい作品だ。(テキスト・構成:山田 慎)
みんな思い通りには活動できていないかもしれないですけど、ブレずにかっこいいことをやっている
──前作からの環境の変化をお聞きします。アルバムリリース後、ベースの村山君が都合で抜けて、サポートメンバーを迎えつつライヴを続けていましたね。こうしたこともあったことから、個々人の環境についてお伺いしたいと思います。
山口:僕はほかのインタビューで結構話しているので、別のメンバーから聞いたほうがいいと思います。まず、はるちゃん(長生・dr)からいきましょう。
長生治彦(Dr / 以下、長生):そうですね……、僕自身は……、特には、無いですかね……。
一同:(笑)
山口将司(Vo,Gt / 以下、山口):でも、はるちゃん、ほら、環境の変化とは言えないかもしれないけど、ドラムにクリックを導入したこととか。
ジューシー山本(Vo,Gt / 以下、山本):あと、将棋熱。
一同:(爆笑)
山口:増し方が半端ないですよ。
長生:将棋をまたやりだしたのが6〜7年前で、この3年間くらいでさらに熱が入っています。
山口:前作から比べても明らかに増しています。
長生:2年くらい前から大会に出る数も増えました。関東や岡山の大会にも出たりとか、遠征もしています。
山口:バンドだけでなく、そっちでもツアーを入れているという。
長生:基本的に全国大会の予選は、大阪の人は大阪しか出れないんです。でも、どこにでも出ていいという大会もあって、それのツアーみたいなことで、全国に行ったりしています。
──その中で気付きみたいなものはありますか?
一同:(笑)
山本:自分の中での将棋とバンドのつながりとか?
山口:そうやな。バランスが変わってきたとか。
長生:バランスは変わってきたかなと思います。将棋に比重が増えたということですかね。
一同:(笑)
長生:将棋も音楽も集中力がすごく必要だなというのは感じます。特にレコーディングは一回ミスしたらダメになってしまうので。演奏も特にドラムは失敗できないし。
山口:将棋も入り込んだらがっつり集中するし。バンドも特にレコーディングで顕著になりますけど、ある程度、道筋を決めたところへのこだわりというのが、この4人の中で一番強いかなと思います。
──村山君はどうですか?
村山征希(B / 以下、村山):結婚したいとか、家庭を持ちたいとか、みんなが20代に考えるようなことを、だいぶ遅れて考えるようになったというか。抜けている間は忙しかったですが、それが落ち着いて、今、土日はすごく暇です。これからの話になってしまいますが、ベースに磨きをかけていこうかなと思っています。最近、新しいアダプターとシールドを買いましたし。
一同:(笑)
──音楽に対する意欲が上がってきたということですね。
村山:片手間でやってきたつもりではないですけどね。レコーディングには参加できましたが、今回、メンバーが考えたフレーズもあったんですね。特に終盤の曲に関しては、僕はいませんでしたから。僕が考えていない曲を弾いてみると、自分のプレイに限界を感じたりしました。そのことは、逆に音楽や演奏を集中するきっかけとなったんです。自分の作ったフレーズはごまかしも効きますし。それは新たな学びでしたね。
──山本君は環境の変化はありましたか?
山本:仕事と家庭の環境の変化を考えると、そこはあまり変わっていないかなと思います。仕事も前作のときから変わっていませんし、当時も結婚していたので順調に過ごしていました。でも音楽をいつまで出来るのかなとか、アルバムをあと何枚出せるんかなとか、そういったことを考えながらレコーディングに臨みました。それが変化かなと思います。32歳くらいになって、いつまでできるんかな……、ということを噛みしめながら、毎回ライヴをやっているというか。
──今後のあり方に関わってくると思うので、また話をして頂きたいと思います。ほかにはありますか?
山本:そうですね、外食の回数は増えてきたかなと……。
一同:(笑)
──ラーメンもいつまで食べることができるか分からないですよね……。
山本:そうなんですよ。いつまでスープを完飲できるかなと……。体調にも気を使うようになりました。お酒を呑むときも、事前、事後、寝る前にめっちゃ水を飲んだりとか。
──健康は大事ですからね。ライヴを出来る日も限られていると思いますし、日曜にライヴをするとなると、打ち上げで盛り上がりすぎると、月曜仕事に影響が出てしまいますよね。難しいところです。山口君はいかがでしょうか?
山口:変化として大きいのは、結婚して枚方に引っ越して、3人の家(山本と長生)が比較的に近くなって。今までって、4人が揃わないとスタジオに入らなかったんです。村山が1年くらい抜けるということが分かったタイミングで、3人でスタジオに入ってみようということになったんです。結果的に今回のアルバムの曲作りの変化につながってきます。
──これも環境の変化ですよね。
山口:4人やったら、何の気なしに「ブワーン」って音を出して、形を作っていくんです。前のアルバムまでは、このパターンが一番多かったです。3人やとベースがいないってだけで、そうもうまくいかなくて。3人でスタジオに入る前に、ヴィジョンをちゃんと持ったり、あるいは簡単なデモを作ったりとかが必要だと思いました。僕らはそういったことを今まで全然やってこなかったんですけど、環境の変化に伴って、曲の作り上げ方も変わってきました。家が近くなったことで、平日の仕事終わりにスタジオへ入ることができるようになったのも大きいです。
──BEDとも近い京都のバンドで言うと、my letterとかlow-passはメンバーの住む場所がばらばらになってしまい、環境の変化がある中で続けていくことを選択したり、活動休止となったりしています。そういった周囲の変化を僕よりも身近に感じていると思うんですけど、どうでしょうか? これはネガティブな意見でなくても構いません。例えばですが激情ハードコアバンドyarmulkeでギターを弾いていた清人さんは、解散から長いこと活動していませんでしたが、ついに9iとしてインストバンドをスタートしましたね。
山口:今まで僕ら以上に活発に活動してきていたmy letterやlow-passなど世代も近い人たちがそういった状況になるのは、単純に思うのは「みんな歳を取ったな」ということです。僕らはもう少し前に大きな変化を経験していて、妥協の仕方を知っていたんです。彼らも今後、そういったことを考えながら活動していくと思うんです。今まで毎週スタジオに入っていたけど、2週間に1回、月1回になっていく。ライヴは月に2回できていたのが、月1もしくは2〜3ヶ月に1回になる。曲作りのペースが落ちていくこともあります。自分たちがそのときの状況に応じて、どういう活動ができるかということに直面することは、どのバンドにもいずれやって来るんだなということを思いました。10年くらい続けてきた中で、環境の変化だけじゃなくてバンドを辞めていった人もいました。だけど、清人さんみたいに、また戻ってくる人もいる。この10年、わりとコンスタントにやってきた身からすると、いろんな流れを見てきたなと思いますね。自分らもでこぼこありながらも、続けてきたので……。みんな環境が変わったりしても、結局かっこよかったりするんで、それに勇気をもらっていますね。

──具体的に影響というか、かっこいいと思ったバンドはいますか?
山口:それこそ一緒にやっているOUTATBEROやCARDは、3バンドで企画もやるし。彼らはメンバーも音楽性も結構変化しているんですよね。でも、その時々で前に進もうとしていることに刺激を受けています。あと、THE ACT WE ACTやmy exは、僕らがアルバムを出すちょっと前にリリースしていて。みんな思い通りには活動できていないかもしれないですけど、ブレずにかっこいいことをやっているというのは、めっちゃ思いますね。そいつらと同一線上、もしくは自分らが前を走る。それをキープしないと終わってしまうのではないかと思います。
──村山君は抜けていた1年間、外からバンドを見ていていかがでしたか?
村山:抜けるのは初めてではないし、こんなに長く抜けるとなると、基本的には脱退になるかと思うんですよ。安易にではないですけど、抜けることを受け入れてもらっているし、戻れるという環境にすごく感謝しています。ベースが変わったらやりにくくなるのは当たり前じゃないですか。それを魚頭さん(ex.Z、ex.AS MEIAS、ex.there is a light that never goes out、OSRUM)と福本さん(ex.UP AND COMING、dry river string)が支えてくれて、バンドが続いていることも嬉しいです。BEDはペースを緩めず続けていく適応力というか、「そこはこだわらんでええやろ」みないな変なこだわりがない。感覚が鋭いのかなと思っています。「やりたいな」「出たいな」というイベントはありましたけど、それは仕方がなかったですけどね。
──BEDは京都のバンドという印象が強いんですけど、現在は4人とも大阪在住ですよね。でも、今でもホームを京都に持っていて。というのも企画は木屋町アバンギルドでやっています。
山口:僕らは企画に関してはほぼ京都または東京でしかやったことがないんです。あと大学もサークルも京都じゃないです。だから大学やサークルにバンドの先輩がいないんです。ライヴをやっていく中で知り合った人たちが、先輩になっていったんです。ありがたい話で、それこそUP AND COMINGがいたりして、つながりが出来てきました。それから企画を打ち出していくことになって、実はこの2年くらいでアバンギルドの方にもやっと認めてもらえたというか……。この表現は少しおかしいかもしれませんが、認知してもらえたなと思います。ライヴハウスの人や、タワーレコード京都店の人がお店に行くと声をかけてくれるんですよ。「この前、ライヴよかったですよ」とか。なぜかライヴ会場では全然声をかけてくれないんですよ(笑)。さすがにこんだけやってくると、BEDを知ってくれている人たちも増えて、気難しそうな人たちも温かく迎えてくれるようになった。今、京都がホームやな、とすごい実感しています。
──ありがとうございます。山口君は自主的にPODCASTをやっていますが、これも京都や関西からの発信で、長いこと続いていますよね。
山口:もともとはこのアルバムを出すまでに、自ら発信する場所を作っておきたかったんですけど、自分でやりだしたら面白くなるんじゃないかなという構想は前々からかなり練っていたんですよ。あるときLOSTAGEの五味兄に「PODCASTをやりたいんですよ。出て下さい」と言ったら、「やるんやったら、むっちゃやれよ。一回で終わるんやったら、しょぼいと思うで」と話してくれて。五味兄は出てくれて、それからPODCASTも続いています。東京のバンドの人とかは打ち上げだと帰りもあるから、ゆっくりと話す機会がないんですよ。改めてじっくりと話す場所も欲しくて、自分からあえて作りに行ったんです。意外と出たがりな人たちが多くて続けていけているんですけど、聞いてくれた人たちからリアクションも結構あるんですよね。メールも来ていて勇気をもらいました。例えば四国でバンドをやりたいけどメンバーも見つからなくて、30歳を過ぎていて子供もいるけど、「聞いています。絶対にバンドやります」って。発信することに意味はあるなと実感しています。次のヴィジョンとしては、全く面識のない人たちと話したいたいですね。バンドマンPODCASTの流れも少し出来てきたので、クオリティーを上げていきたいです。タイプの違うバンドを呼んで、曲の作り方やギターの乗せ方といった、音楽論に踏み込んだ公開録音もそのうちしたいですね。