
お待たせいたしました。今年も5月3日(木)~5日(土)の3日間に渡って大阪・服部緑地野外音楽堂で行われた野外コンサート・祝春一番2018(以下 春一番)。通算33回目を数える本イベント、筆者は6年目となりますが今年も有志スタッフとして参加してまいりました。春一番の概要については事前記事をご覧いただくとしまして、ここでは現場で見てきた模様をお送りいたしましょう。
事前記事:【コラム】開催直前!ゴールデンウィークは祝春一番2018に行こう!
今年のゴールデンウィーク、大阪は雨予報だったにも関わらずフタを開けてみれば、会期中は青天に恵まれた。開場の11時までまだ1時間はあるのにすでに最後尾が見えないほどお客さんは列を成している。春一番ではタイムテーブル・出演順は発表せず、また開場と同時に演奏がスタートする。そのためお目当てがいきなり出てくるかもしれないし、後ろの芝生スペースのいい場所は争奪戦になるし、いずれにせよ冒頭から春一番は見逃せないのだ。先頭付近を陣取る常連のお客さんからは“大塚(まさじ)さんと有山(じゅんじ)さん、どっちもおんのに晴れたで!あっついわ~”と春一番きっての雨男2人が揃ってしまった初日の快晴を喜ぶ声が聴こえてくる。
小さい子どもはライヴをBGMに会場を走り回る。会場スタッフとして巡回している筆者が“危ないで~!”と制止する。今年もステージの横に立ち1組1組紹介している主催・福岡風太は毎度「子どもはみんなで面倒見たんねんで」とアナウンスしている。ベテラン有志スタッフが感慨深げに“こんな子どもたちが遊びまわるようなイベントになってんなぁ”と話し、福岡風太と共に長年春一番を作ってきたあべのぼる(2010年死去)も健在だった頃の、春一番の強烈な磁場によって引き寄せられていた大阪の濃厚な人たちのエピソードを教えてくれた。客・演者・スタッフ、いずれも血の気が多く、今は笑い話だがあの頃に自分がスタッフでいたらと思うと少しゾっとした。
70歳となった福岡風太は杖をつきながらも健在。大塚まさじ、中川五郎、友部正人、佐久間順平、いとうたかお、金子マリ、有山じゅんじ、木村充揮ら、70年代から出演しているベテラン勢も今なお新しい音楽・表現を続けながらこの場に残っている。他の音楽イベントに比べて毎年ガラリと出演者が変わるわけでもない。しかし単にショーケース的にライヴを披露していくような幾多の音楽フェスとは一線を画し、この1年どんな活動してきたか、おもろなったか見せつけてみぃと言うようにステージと持ち時間を福岡風太は用意する。そして演者はそれぞれの果たすべき役割を考え、パフォーマンスする。その中で良元優作、リトルキヨシ、gnkosai、ROBOW、金佑龍、宮下広輔、オカザキエミ(moqmoq)ら30代から40代に差し掛かる世代もしっかり根付いてすでに中核を担っているし、ハンバートハンバートや小谷美紗子、押尾コータローなどの全国的な人気者もデビュー時から毎年ステージに立っていれば、新星としてアフターアワーズや蠣崎未来が確かな存在感を発揮している。そんな場所だからこそ体感できる鮮やかなグラデーションのような変化は春一番でしか味わえない面白さだと言えるだろう。
福岡風太の息子で、ここ数年は父をがっちりサポートし陣頭指揮を執っている福岡嵐は3日間が無事終了したことをSNSに投稿。そこにあった1行が今の春一番の姿と特異な魅力を的確に表現している。
世代交代ではなく、共存を
まさしくそんな“共存”の風景を目の当たりにした3日間であったのだ。
3日間の冒頭を飾る大車輪の活躍、gnkosaiBAND
今年の3日間、最大の活躍といえば初日の出演が告知されていたgnkosaiBANDだろう。レゲエ、ダヴ、ブルースを主軸としたグルーヴ・サウンドにgnkosai(Dr,Vo)がポエトリーを乗せていくスタイルの4人組。開場し長田’TACO’和承によるオープニングを経て、ようやく全てのお客さんが入ったほどのタイミングで4人は登場した。“京都の秋の夕ぐれは コートなしでは寒いくらいで…”とgnkosaiがポツポツと語り始める。父である故・加川良の楽曲「下宿屋」だ。加川良の匂いも染みついている春一番という場所に来たことを改めて実感するような幕開け。しかし決してしんみりした追悼の意ではなく、ルーツとして加川良と共存しながら、しっかりgnkosaiBANDのレパートリーとして継承されているバンドアレンジに思わずグッときた。
2日目のオープニングは佐久間順平。バイオリン独奏で「春一番」、「カレーライス」、「WATARU’S WALTZ」など名曲のメドレーと「あ・り・が・と・う・の歌」で健やかにオープニングを飾った後に登場したのはなんと再びgnkosaiBANDだった。加川良の楽曲の中からも「女の証」をレゲエ・アレンジで披露し、昨日とは違うセットリストできっちり務めたのだ。そして最終日のオープニングはかつて裏方として春一番に関わっていたこともあるという梅原智昭によるディジュリドゥ演奏。観客は入場するやいなや異空間のサウンドに度胆を抜かれる幕開けとなった(梅原智昭はこの後もアコギ弾き語りも含む自身のステージ、また平田達彦、金佑龍それぞれのステージでもコラボし存在感を見せつけていた)。そして“二度あることは三度ある”とgnkosaiBANDが三日連続登場のサプライズ。常連からは“こんなこといつかのリクオ以来ちゃうか!”との声も聞こえながら“やったれ!”と迎えられる。さらにこの日はコーラスとしてオカザキエミ(moqmoq)も呼び込み、前の日から引き続いて演奏されている「音と言葉とビートと私」や「new song」は3日間通し参加の観客にはすでに知れ渡り、会場には早くも一体感が生まれていた。最後にはペダルスティールに宮下広輔も加わって加川良の代表曲「ラブソング」を雄大に歌い上げ、今年の幕開けを一手に引き受けたのだった。
また初日のトリを務めた金子マリpresents 5th element willのステージにも彼らは花を添えた。前半には伝説のスーパー・ブルース・バンド、ソー・バッド・レビューのレパートリーの加川良作詞曲「お母ちゃん俺もう出かけるで」を当時メンバーだった北京一のボーカルで披露。“もう堪忍してぇな”という歌とも語りとも取れない浪花のグルーヴを奇妙に乗りこなす北京一の芸人・パフォーマーとしての立ち振る舞いに感服した一場面となった。gnkosaiBANDは中盤にコーラス隊として呼び込まれ、前日に発表された4年ぶりのニューアルバムの曲を豪華な編成で披露していった。特に「風は吹かない」はボブ・ディラン「風に吹かれて」にオマージュを捧げながら、あの頃と反転する現代を憂いつつ若者をポジティブに奮い立たせる歌詞描写。50年近くボーカリストとしてのキャリアを積んできた今の金子マリが歌うからこそ真っ直ぐ届いていくような壮大な楽曲だ。“こんなんでいいの?――いいわけないだろ”という会場の大合唱がこの日の終わりに向けて日暮れを一気に連れてくる心地の良い初日のクライマックスだった。
2年目の出演アフターアワーズ、中川五郎・AZUMIに伝播!
2日目のハイライトとしてやはりki-ftでもおなじみのアフターアワーズのステージも記しておきたい。昨年は出演者全員登場のフィナーレバンドTHE WINDで周りに盛り立てられながら大暴れした若きスリーピースは2回目の出演。登場するや否や“おっ、あいつらか”と複数人がステージ手前まで集まってきたのは昨年と違うところ。彼らの立ち振る舞いも念願という思いがはち切れんばかりであった昨年に比べて堂々たるものだ。冒頭から「何ゆーてんねん」、「16」とショーウエムラ(Vo,Ba)による、宇多丸(RHYMESTER)meets大木温之(Theピーズ)に上方漫才をブッこんだような言葉を詰め込んだアッパーチューンを景気よく放ち、上野エルキュール鉄平(Dr)が唯一ボーカルを取る「あべのぼるへ」は彼らの春一番への気持ちが乗ったこの場所でやはり一番光る曲であるし、ドナ・タミハル(G)は常時躁状態でダック・ウォークをキメるギターヒーローっぷり。この一年着々と関西の音楽シーンにはばかってきたことが分かる成長のステージであった。
しかもここだけに留まらず、そのステージを見た中川五郎から招集がかかり、阪井誠一郎(ROBOW)も合わせて3人は再登場。中川のハイテンションなステージを盛り立てた。さらに上野エルキュール鉄平はAZUMIにも“一緒にやろか”と三度目の出演。あべのぼるの「何も考えない」を2ピースで披露。轟音ディストーション・ギターでフリーダムに吠えまくるAZUMIの背中に目配せする上野。AZUMIが腕を振り降ろした合図でブレイクを入れていく剛腕インプロビゼーション・ブルース。年の差約30歳、それぞれの目線で見ていたあべのぼるが立体的な像となって結ばれていくかのような演奏に圧倒された。亡くなった後も遺した歌に魂は息づき、引き継いだものと共存していくことを目の当たりにした気がした。
スリー・キングス降臨!
最終日の目玉はやはり鮎川誠(シーナ&ロケッツ)、友部正人、三宅伸治によるスリー・キングスだろう。三宅伸治はthe spoonful、友部正人は1人での出番が先にあり、鮎川誠は待ちきれず友部正人のステージに飛び入りで登場。友部正人の最新作から「From Blooklyn」をセッションした。気ままにレスポールカスタムを弾き倒す鮎川と、それでもブレずに坦々と歌詞をその場に置いていくような友部の歌唱、二大巨頭の混ざり合いは実にフレッシュだ。そしていざスリー・キングスとして3人横並びに揃うと最高潮の盛り上がり。友部正人訳詞の「Like a Rolling Stone」や「一本道」で3人が歌い継ぐ絢爛さはもちろんのこと、鮎川誠のサンハウス時代の楽曲「ぬすっと」に沸く空間、そして鮎川・三宅の一級品のギターワークをバックに「You May Dream」「レモンティー」を絞り出すように歌う友部正人と、どこをとってもスペシャルな光景が眼前に広がっている。一度下がった後もアンコールの声が鳴りやまず。福岡風太はやれやれというような表情で許容し再登場、友部の楽曲「夕日は昇る」を披露した。御年70歳の鮎川誠、去り際に同い年の福岡風太とパワフルに握手を交わす姿は今年の春一番を象徴する1ページのように思えた。
友部正人は今年の大トリ、夕凪の最後の1曲でも伊藤せい子(Vo)に“もう会えなくなった大好きな人も多いけど、今も会える私のアイドルがいます!”と紹介され登場。西日も相まって照れた様子ながら、夕凪によってアレンジされた「ぼくは君を探しに来たんだ」を歌った。思えば2日目のトリを務めた小谷美紗子も“トリでもアンコールはやらない主義”と前置きしながら“天下の春一番でもそれが許されるのかと葛藤しまして、アンコールの代わりにもう1曲やります”と最後に演奏したのも友部の「夕日は昇る」だった。1971年の第1回開催から出演している、まさに春一番の歴史を共に歩んできた友部正人。彼の曲には常に他者に語り掛けながら、“はじめぼくはひとりだった”といつだって孤独になれる不思議な心地がする。そんな“すばらしいさよなら”が言える音楽であり、名残惜しく後ろ髪を惹かれながらも、日常に引導を渡す友部の楽曲が今年の春一番の幕をきれいに引いたのであった。
まだまだあるぞ名シーン
残しておきたいハイライトはまだまだあり、語りきれそうもない。大阪のアコースティックバンドROBOW(初日出演)はフロントマン、阪井誠一郎(Vo,G)による素朴だが実直な歌がお昼時に見事にマッチ。ラストは軽快なブギウギ「僕の車に乗ってくれないか」で締め、そのまま次の蠣崎未来の演奏を務めた。今年初出演の名古屋在住シンガー・ソング・ライター。この日先行販売となった初全国流通作品『路傍の唄』の演奏をROBOWが務めており、先だってレコーディングと同じ編成でのステージとなった。真っ白な衣装でとつとつ歌うハスキーボイスは会場内の時間の流れが止まるようで、あちこちで目を閉じふらふら歌声に身を委ねている観客が見受けられた。また最後に披露された「無題」。“明日は思い切り歌えるさ 今日のは不甲斐ない歌だった”とライヴの出来の自責から始まる、この日の華々しい姿とは対照的な歌詞。しかし歌いはじめた頃から振り返り、アルバムリリース・そして春一番出演のこの特別な日をターニングポイントとして刻み込む意味も込められているような気がした。またしんみり聴かせる歌とは一転、1曲終わるごとに見せる爛漫な笑顔と快活な立ち振る舞いも含めて観客を魅了。終了後は持ってきた『路傍の唄』が完売するほどの印象を残した。
押尾コータローと清水興のステージ(2日目出演)では途中なんと木村充揮が登場。押尾・清水の豪華なコーラスで「君といつまでも」を演奏した。4曲で終了した2人に対して歓声が鳴り止まず、次の木村のステージでもう一度押尾と清水を呼び込むことになり急遽「天王寺」を即興コラボ。観客を大満足させた。いやはやあの木村の出てくるだけで鳴り止まない歓声と笑いと、“アホー!”“はよやれー!”との野次。古今亭志ん生や桂枝雀のような粋に達している存在感には毎度感動してしまう。
漫談のナオユキ(2日目出演)は会場中央へそステージに立つ。360度すり鉢観客に囲まれながら、“雑居ビルの4階、でたらめな酒場…”と哀愁と邪推で笑いを導いていく。そして一ネタまくし立て「祝春一番2018へよォーこそー!」と吠えた時の歓声。芸人の勇ましさに鳥肌が立ってしまう風景だ。
DEEPCOUNT(最終日出演)は桑原延享(Vo,Tp)が冒頭、自分たちの曲は最後の1曲しかやらないことを宣言、江戸アケミに向けた「FADE OUT」(暗黒帝国じゃがたら)、山口冨士夫に向けた「GORILLA DO」、伊藤耕に向けた「SILLY BLUES」(THE FOOLS)、そしてあべのぼるに向けて「何も考えない」とこの世にいなくなった同志たちの曲を再生させるように演奏した。そして最後に“踊り子さんと一緒に”とダンサーNIMAを紹介。米軍ヘリパッド問題が顕在する東村高江の風景を目の当たりにしたことを綴った自身たちの曲「Note of Okinawa-公衆便所のカナブンの恩返し」をへそステージで華麗に舞うNIMAと共に表現した。80年代以降ジャングルズやJAZZY UPPER CUTで伝説を作ってきた桑原延享が東京のパンク、ニューウェイヴ、ストリートカルチャーの歴史を総ざらいし体現するかのようなステージであった。
めくりからリニューアルされた舞台演出
最後に今年のステージで大きく変わった点も記しておく。例年ステージ上方にはいつもアーティストのめくりが設置されていた。出演者が登場すると共に張り出され、全日程が終了するタイミングで全ての演者のめくりが揃いステージが完成するというのがおなじみの演出。しかし今回は2階建ての木造建物の骨組みが登場。そこにベニヤ板に描かれた各演者の看板が登場するたびに貼られていく、まるでライヴ・ビルディングのような演出にリニューアルされたのだ。手掛けるのは毎年演者の名前を一枚一枚丹精込めて描いてきたイラストレーター諸戸美和子。めくりではいわゆる寄席文字にアレンジを加えた統一的なフォントだったが、今年はそれぞれのバンドのイメージによって全て違うワードアートでカラフルに彩られた新しい試み。最後に「福岡風太」「あべのぼる」の名前が掲げられ完成した姿は、まるで音楽の要塞。長らく春一番の象徴的な演出であった“めくり”も形式化を頑なに拒むように心機一転。関わってきた人の想いを宿しこれからも共存していく宣言のような美しいステージだった。
例年にも増して世代を超えて演者が入り乱れたり、カバーをすることでリスペクトを送るシーンが多かったように思えた。しかし何よりこの場に集まってきた人に共通しているのは主催・福岡風太へのリスペクトなのだ。73年に雑誌に残している風太自身の言葉を借りれば“福岡風太のいない春一番なんて富士山のない日本のようなもの”なのである。初回から数えて47年、変わらずに春一番は福岡風太のコンサートというのが演者・スタッフだけではなく観客にも認識されているのはやはり稀有な場所だ。だから福岡嵐は“共存”という言葉を使ったのかもしれない。この場にいる人たちが混ざり合うこと、もうこの世にいないかつての仲間とも追悼ではなくこれからも共に生きていくこと、そして春一番は福岡風太の一代記であること。だから世代交代なんて端からないのですよという思いに受け取れる。この場に関わる全ての人の想いを受け止める場としての度量の深さと、1971年から変わらぬインディペンデント精神に改めて感服と感謝を。