【クロスレビュー】ザ・ローリング・ストーンズ『ブラック・アンド・ブルー』
- By: 関西拠点の音楽メディア/レビューサイト ki-ft(キフト)
- カテゴリー: Disc Review
- Tags: 1976年の音楽, The Rolling Stones


BLACK AND BLUE
ソニー・ミュージックレコーズ, 1976年
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ki-ftレビュアーが参加している岡村詩野による〈音楽ライター講座in京都〉では、6月14日に田中宗一郎さん(the sign magazineクリエイティブディレクターetc.)をお迎えし、特別講座「田中宗一郎先生の赤ペン講義」を実施致しました。先生から我々に与えられた課題はザ・ローリング・ストーンズ『ブラック・アンド・ブルー』(1976年発表作品)でした。
「この作品を選んだ理由は、音楽的な参照点が明確で、時代的な背景にも影響されてて、リリックも分析対象になり、すでにしっかりと歴史的な位置付けがされているから。これについて書けないなら、何についても書けない、現代のものも書けないよ」とおっしゃる先生。当日は4時間に及ぶ熱血指導で、濃密な講義となりました。その指導を経て完成した二つの記事をアップいたします。
青き瞳の黒人と希望のリディム
ストーンズと言えばドラッグ(麻薬)や暴力を肯定する“不良少年”をイメージする人も多いかもしれないが、結成当初は“リズム&ブルースバンド”というのを掲げ、チャックベリーやマディ・ウォーターといったアーティストをルーツに持つロック・バンドであった。そして、70年代以降はR&Bだけでなくファンクやニュー・ソウル、ジャズといった音楽から影響を受けたナンバーを数多く発表している。旧メンバーであったミック・テイラーが脱退し、ロン・ウッドが加入して新体制でのスタートとなった本作でも、青い瞳の彼らが奏でるサウンドには様々な黒人音楽のエッセンスを感じる事が出来る。
例えば1曲目の「ホット・スタッフ」ではクールな演奏でありながら、濃厚なファンク・ミュージックを聴かせ、「メロディ」ではオールディーズ・ジャズを思い起こさせるサウンドにサポートであるビリー・プレストンが声色を変えつつミック・ジャガーとコミカルな掛け合いを披露している。また、ストーンズが不良少年ではなくダメな父親を描いたバラード「愚か者の涙」ではエフェクトのかかったキーボードサウンドに、マービィン・ゲイを思わすミックの歌声がニュー・ソウルのようなフィーリングを作り出している。そして、黒人音楽とストーンズのハイブリット感を楽しめる本作において、一番重要となる音楽こそレゲエである。それを象徴する曲こそストーンズ初の本格的レゲエ・ナンバー「チェリー・オー・ベイビー」である。
エリック・ドナルドソンによる71年〈ジャマイカン・ソング・フェスティバル〉優勝曲のカヴァーであるこの曲は1拍目にアクセントがなく、3拍目のみが強調される“ワンドロップ”のビートを使用している点やミックがエリック・ドナルドスンを模した歌い方をしている点など、ストーンズのカヴァーとしては珍しく原曲を忠実に再現している。また、この曲以外でも「へイ・ネグリータ」では裏拍を強調したギターのリズム・カッティングからレゲエの影響を感じられ、「ホット・スタッフ」では“日を浴びて働くジャマイカのみんな 君らもホットだ 抜群にいかしている”とジャマイカを賛美した歌詞を書いている。そしてこの作品以降、彼らはピーター・トッシュやジミー・クリフ、スライ&ロビーといったレゲエ界を代表するアーティスト達と共演している。では、なぜストーンズはレゲエという音楽に感化されたのだろうか。
彼らとレゲエの出会いは72年にレコーディングでジャマイカを訪れた所まで遡る。当時、The Bleechersがレゲエでカヴァーした「Send me the pillow that you dream on」を聴いたキースは「リズムはニューオリンズで、歌声がロカビリー。黒人音楽と白人音楽が驚きの形で融合している。」と自分が目指していた理想の音楽像をレゲエに見出した様な発言をしている。そう考えると「チェリー・オー・ベイビー」がR&B的な色を付けず、忠実にカヴァーをしたのも頷ける。そして、このストーンズのレゲエへの傾倒は当時の英国にいた黒人達にとって希望であったのかもしれない。
60年代以降、英国は英国病と言われる慢性的な不況に陥っており、70年代に入るとオイルショックが到来し、国は財政破綻。職にあぶれた労働者、特に英国旧植民地国からきたカリブ系の黒人は就職口がなく、さらに同じく職のない白人の若者や排外的な愛国主義者から差別・攻撃を受ける日々であった。そんな彼らにとって、英国を代表するバンドであるストーンズが自国の音楽をありのままの形で表現して歌った事、そしてレゲエ界を代表するアーティスト達との共演は大きく勇気づけたのかもしれない。ストーンズがいかにレゲエを愛しているか、そして70年代の英国というのを語る上で『ブラック・アンド・ブルー』は非常に重要となる作品ではないだろうか。(安井 豊喜)
酸っぱいけどおいしい
黒パンも、ブルーチーズも、はたまた鮒寿司も、大半の人は美味しくないと感じ、敬遠しがちである。一方で独特の味は一定層を虜にしているのは事実であり、それこそが食の奥深さだということを物語る。例えば『サタニック・マジェスティーズ』や『山羊の頭のスープ』、そして本稿の作品『ブラック・アンド・ブルー』(以下『BB』)は、ローリング・ストーンズ初心者にとっては、とっつきにくいアルバムかもしれない。冒頭で挙げた食べ物の共通項は「酸っぱさ」であり、その正体は乳酸菌による発酵なのだけれども、『BB』も酸っぱいアルバムと言える。「酸っぱい」と言うと、「しょうもないなぁ」と、捉えてしまうかもしれないが、決してそうではなく、おいしいのだ。では、その酸っぱさとは何なのだろうか?
ストーンズといえば、アルバムでの冒頭曲はキャッチーなロック・ソング、例えば「Brown Sugar」や「If You Can’t Rock Me」などをキメてくれるのだが、本作は「これまでとはちょいと違うんだぜ」と語りかけてくるように幕を開ける。ブライアン・ジョーンズの脱退後に加入したミック・テイラーは卓越したギタリストだったが、1974年暮れに脱退。バンドは「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼ばれる、後任ギタリストとセッションを重ねる中で、キャンド・ヒートのハーヴェイ・マンデルを候補とした。彼はラテン・ミュージックにも影響を受けたミュージシャンで、当時、ファンクに関心を持っていたキースとの相性の良さを存分に発揮。それが本作の冒頭曲「Hot Stuff」。キース・リチャーズの小刻みなカッティングの上に、マンデルはワウの効いたリード・ギターをフリーキーに弾きこなすナンバーだ。
ミックは「Hot Stuff」の中でシャウトする。
“ジャマイカの陽の下で 働いているみんな おまえはホットなホットスタッフ”
ジャマイカでレコーディングされた『山羊の頭のスープ』(1973年)はその後のストーンズに間違いなく影響を与えているだろうし、エリック・ドナルドソンのカヴァー「Cherry Oh Baby」を『BB』収録したことからもはっきりと読み取れる事実である。酸っぱさの正体は「ジャマイカをはじめとしたラテン・ミュージックへの傾倒」だ。
もう少し話を進めよう。
セッションの中で最終的にメンバーとなったロン・ウッド。フェイセズやジェフ・ベック・グループとして活躍していたことから、ブルース・ロックのギタリスト(ベーシスト)という印象がある。しかし、キースやミック・テイラーも参加したソロ作品『ナウ・ルック』(1975年)では「Caribbean Boogie」とタイトルを付けた曲も収録。ラテン音楽への理解も示している。そのロンは『BB』では3曲のみの参加だが、M5「Hey Negrita」でラテンかつファンク調のギターを披露。卓越したセッション・ギタリストの中では一歩も二歩も演奏力に劣るロンであるが、力強くもリズミックで躍動感のあるリフは非常に印象的で、ブラック・ミュージックに急接近していた当時のストーンズにとって、ソウル・フィーリングあふれる彼のプレイは魅力的に映ったのだろう。
レゲエやラテン・ミュージックの色濃い影響を感じるのは上記の曲であるが、ストーンズ風ジャズ・ソング「Melody」、バラード「Memory Motel」「Fool to Cry」などが入っていることで、本作は黒いリズムで覆われている。所謂、ストーンズっぽさのある曲は「Hand of Fate」「Crazy Mama」だけで、その2曲もBPMは共に115程度と、高揚感をあまり感じさせない仕上がりだ。少し前に指摘したとおり、共に4分半と長尺である(他の曲は5分台がほとんどで、更に言うと本作は8曲のみと少ない)。
エリック・クラプトンによるボブ・マーリーのカヴァー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(1974年)は間違いなくレゲエを世界に広めた。また、『BB』と同年作のイーグルス「ホテル・カリフォルニア」はギターのカッティングやタムの使い方などから分かるように、明らかにレゲエに挑戦しようとした曲である。しかし、彼らは大衆が好むポップ・ミュージックとしての焼き直しであり、黒いリズムを表現したのはストーンズだけだったのだ。故にR&Bバンドとしての作品を好んでいた層には受けなかったのだ(ロックンロールに回帰した次作『女たち』の大ヒットはその反動とも言える)。
ストーンズがラテン・ミュージックへの造詣の深さを裏付けるのは1978年。Rolling Stonesレコードは、ラスタファリ運動に大きな関わりを持ったウェイラーズのピーター・トッシュと契約。計3枚のソロ・アルバムをリリースし、『ブッシュ・ドクター』ではキースやミックも録音に参加している。
今ではレゲエやラテン音楽は普遍性を持ち、ポップ・ミュージックのフィールドでは随所に垣間見ることができるまでになった。今から40年前、売れ線の音楽を拭い去りながら生み出した『BB』は、今でこそ再評価されるべきアルバムであろう。セッションしたギタリスト、ジャマイカのミュージシャン、周辺アーティスト、歴史。様々なものが絡みあった中で出来たものだから。
さて、どうして「酸っぱい」のかを紐解いてきたが、はっきり言おう。「酸っぱい」は「おいしい」のだ。発酵というのは、実は腐敗と紙一重である。酵母菌を育てる場合、温度や湿度管理を怠ると、それは腐ってしまい、不味いものが出来上がる。微生物はぎりぎりの葛藤を続けた後、発酵か腐敗かに分かれる。『BB』は、発酵熟成の進んだ食べ物に似ている。デビューから10年が経過し、一定の成功を収め、円熟期に入ったこと。セッションという葛藤を繰り返した後にできたアルバムということ。ロックンロールという受け入れられやすい土壌を捨て、あえてジャマイカに接近したこと。完成までに時間がかかり、加えて失敗する可能性もあり、更には一定層にしか受け入れられない、酸っぱい発酵食品そのものではないか。
でも、それは普段食べているものよりも滋味豊かであり、歴史があり、文化もある。知れば知るほどおいしいものなのだ。そのかわり、知らなかったら奥深さも分からない。だから『BB』は酸っぱいけどおいしいアルバムなのである。(山田 慎)